IQOSとgloとプルーム・テックの一長一短

三種類の電気タバコを使って見たので、一回整理してみる。

 

  • IQOS

フィリップモリス製。最初に発売された電気式タバコ。

フィルターとタバコ葉詰めた部分でできてる「ヒートスティック」をホルダーについてる電極にぶっさして直接焼いて煙を出す。そういう仕組みなので比較的タバコに近い煙が出る。三種類のなかでは喫煙してる感覚が一番強く、一服の満足感も高い。

この結果、電気タバコの中では葉を焼いた匂い(繊維の多い葉を焼いたときの匂い。たぶん、玉蜀黍を焼いた時の匂いが近い)が副流煙にストレートに出る。従来のタバコの匂いではないけども同じ部屋の中で「これはIQOS吸ってるな」とわかる感じで匂いは強い。

取り回しは非常に悪い。一服ごとに3〜5分程度の充電が必要で、タバコ葉さすスティックの他に充電器を持ち歩かないといけない。このため、重量的にはスマホをもう一個、体積的にはタバコのロング型ハードケース2つを持ち歩く必要がある。「IQOSで喫煙するセット」はカバンとか持ってないと持ち歩けないので、昼食時にふらりと持ち歩くには向かない。

  • glo

ブリティッシュアメリカンタバコ製。

IQOSの今ひとつだった点を改善した感じ。充電池とホルダーが一体になっていて、一回充電が終われば一箱分吸うことができるので、IQOSに比べて取り回しはよくなっている。とはいえ重さはIQOSより少し軽いぐらいでズボンのポケットに入れて持ち歩くのは、携帯電話もう一つ持ち歩くぐらいの感覚でどうにか。

仕組みもタバコ葉を直接焼くのではなく、紙巻の外側から包み焼きというか蒸し焼きのような焼き方になっているため、煙の量は少なくなり、タバコの匂いもだいぶ減っている。部屋で吸っても匂いが残らない感じになった。

IQOSは結構ヤニが電極側にたまるので、定期的に掃除しないと妙なエグ味がでてしまうが、gloはそうでもない(ヤニは多少でる)。

反面、タバコ吸ってる感じはIQOSに比べて減っているし、煙が出る量がIQOSに比べて少ないので吸い方にコツがいる。充電池一体型のホルダーはそれなりに大きく、なんか吸ってる感じがパック牛乳吸ってるみたいでかっこ悪いんよなあ。でもパック牛乳をちゅうちゅう吸い出す感じで吸うと煙が多めにでます。

  • Ploom TECH

JT製。

使い回しがよい。他二製品と違って、タバコを焼かない製品で、電池をエタノールなどが入ったカードリッチに接続して加熱し、低温で水蒸気を出してタバコ葉の入ったカプセルを通して吸う。

この結果、他の製品に比べて電池が小さくて済む。持ち歩く重さはボールペン一本ぐらい。昼休みに胸ポケに納めて歩けるのでちょっと喫煙、というときに持ち歩ける良さがある。

問題点として、タバコの味は他の二製品と比べて少なく、一服の満足感は少ない。最近、メンソール製品では水蒸気自体にメンソール味をつけるようになったので少しは改善されたものの、やっぱりまだ味が少ないなあ、と感じる。

結果として、公式には一箱で通常のタバコと同じだけ吸える、と書いてあるものの、物足りないので、つい吸うペースが早くなってしまう。だいたい2倍以上のペースで吸ってしまう。ぶっちゃけコスパはあまり良くない。

使い回す部品は電池だけで、水蒸気の発生部分から先は全部使い捨てなので、メンテナンスを考える必要がなく、そういう点でも使っていて便利。

 

総じて、使いづらくて重たいが味はいいIQOS、吸い方にコツが必要でバランスはいいglo、とにかく手軽につかえるが味も軽いプルーム・テック。

2018年春アニメ1話みて

おっさんなので本数みるのは辛いです。

 

今期のダークホース。ソシャゲ原作史実競走馬擬人化けも娘百合アイドル少女成長もの、という2010年代の総決算のようなアニメ。しかも、1〜2話時点で明らかに2010年代を総括するのにふさわしい程度に成功している。今の所「面白いワルキューレ・ロマンツェ」か「21世紀に制作されたバトルアスリーテス大運動会」といった塩梅である。

声優の演技、OPやEDの雰囲気も含めて一見して「あー銀英伝を見てるんだな」って感じがするのは成功してると思う。この辺が「タイタニア」とかになかったやつだ。もともと、前の銀英伝は絵が当時からしても、さすがに省力化されすぎていたなあ、って感じがするので、このぐらいでよかったと思う。

  • あまんちゅ

甘い。めっさ甘い。なんだろう。原作漫画だとここまで甘くないのに、アニメになるとARIAにしてもそうだけど、こんな甘くなるのはなんでだろう。原作漫画だと割と頭身が高くてクールな感じなので、ポエムも「大人の女性が内省してる」感じがあるからだろうか。それが情感たっぷりに演じられると、ものすごく甘く感じるんだ。とりあえず、1話は原作で好きだった、てこの「ばっちーん」っていうアイコンタクトが省略されてたのが残念。

  • P5A

だいたい原作どおり。原作P5の不満点(夏休み以降があまり面白くない。ダンジョンが理不尽につまらない上に長い。怪盗のくせに敵を殲滅する進行。とかとか)ばかり記憶の底から蘇ってくるのでよくないP4Gと同じ空気を感じる。P3ぐらいの長さならなんか見られるけど、こんだけ長いと辛そう。できれば大胆不敵に変えて見てほしいけどなあ。

初めてPSOをやった時を思い出すような感じのオンラインゲームもの。ビルドトライのときの「ビルドファイターズの受けたポイントってこの辺で、それを再構成すればいけるよね」みたいな感じで制作されていつつも、でもそれ絶対違ってますから!っていう空回りっぷりが本当に辛かったのですが、今回はその辺抑えたトーンになってますわな。アクエリオンEVOLに対するアクエリオンロゴスにならないことを祈る。

漫画読んでないけど面白いやん!(原作知らないことが作品への注意を喚起しているパターン)若干一話のなかでも話の展開がもたもたしていて、同じことをなんどもいってる気がしたけど、まあ主要キャラクターたちのポリシーとか詳しく説明しなきゃいけないところだし、そういうもんだよね。

  • ハグプリ

「今回は女の子が、仕事に、子育てに輝く、ということを子供に伝えるプリキュアなんだ」

「なるほど、つまり子供は、何が人生の輝きなのか知らない、っていう話なんですね?」

みたいな変換があったようにしか思えないプリキュア。主人公の島村卯月病が今後どのように解決されるのかそしてそのあと一年のシリーズがどう整理されるのか、というあたりが楽しみである。

なんなの、CCさくらはOP/EDにマクロス関係者を連れてこないといけない、みたいな縛りがあるの。というか、いつものCLAMPアニメの2クール目ですが、まあ、いくつになってもいつものCLAMPアニメが見られるのはいいことなんですかね。。。

最近若干マンネリ気味で、最初は「子供に戦わせるのはおかしい」みたいなことを言っていた大人たちも含め「なんか強そうな敵でてきたけど、結局グランクロスしたら倒せるだろ」みたいな軽いトーンになってきたのをもう一度緊張感ある感じに戻して来たのはよかった。

デスノート Light up the NEW world 「フィクションは終わり現実が始まる」

  • 前提

これは「デスノート Light up the NEW worldはすごく面白かった」という趣旨の感想です。ネタバレもします。あと、話の読み方について、自分の感性で書いてるので、その辺合わない場合はごめんなさい。

 

 

ちょっと前に「大きな玉ねぎの下で」の歌詞は今では通じない。という話があった。今ではそりゃ、一本LINEを入れればいいよね、っていう話になるよね。でも、「大きな玉ねぎの下で」を聞いて「一本LINEを入れればいいのにね」っていうのは、あの歌を聞いたことになるのかな。というと違うよね。

 

「この歌の世界には携帯電話はなくて、手紙を出したらそれっきり、もうそれ以外の連絡方法は何もない。その状態で、相手のことを信じたくて、信じきれなくて、不安だったり、期待したり、でもそれも裏切られたように感じて、じっと武道館の屋根を見る」

 

その物語の前提を受け入れることは、今の自分が持っている価値観を一旦棚に上げて、作中の世界に没入したうえで、もう一度自分の価値観で受け入れる、というような比較的複雑な行為が必要になる。

 

これは比較的難しいんだと想像する。大河ドラマですら「現代の日本人の感性の沿った形の解釈」が優先され、当時の人物たちの思いもよらないような「世界平和」「万人平等」みたいな概念を前提として描写されがちなのは「作中の登場人物の思考の枠組みが自分とは異なっていること」を受け入れることが難しい行為だからなのだろう。(直虎は割と頑張ってると思う)

 

さて、「デスノート」については、当時「金田一少年の事件簿」があり「名探偵コナン」があったことは前提として受け入れる必要があると思う。当時、「天才高校生探偵のみが賢く、大人たちが翻弄されている課題をただ一人、解決できる人間である」という物語は多くあった。

 

だから「デスノート」もそういう世界として構成されている。夜神月とLは天才であり、警察のキラ対策班はそれに二段階ぐらい落ち、普通の警察はさらにその一段したで、庶民はそれよりさらに下の存在である。というような影響力に関するヒエラルキーが厳然と存在する世界である。

それは視聴者の世界観とは相容れないかもしれない。でも、それがこの世界の枠組みである。この物語を楽しむためには、まずはそれを認めなければならない。

 

  • 物語の類型

デスノート」がものすごく飲み込みづらい物語であるのは、ここから先が原因である。それがお話としてのとっかかり、魅力になってる部分はあるので、棘がある。といったほうがいいのかもしれない。

 

ドラえもん、あるいはのび太くんの物語としての類型。おそらくもっともっと前に遡る物語類型として「自分の身に余るものを手に入れてしまった男がそれによって自滅する」という物語がある。

 

デスノートは一見してこの類型のストーリーである。月は最初から「自分の身の程を知らず、道具の超越性を自分自身のものと混同して暴走して破滅する」キャラクターとして物語に登場する。

つまり、愚者であり、自分が愚者であることを知らないタイプの愚者である。

(こういう「傍目から見るとどう考えても愚者なのに、自分ではそうと気づいていない」という役所に、藤原竜也宮野真守はすごくよくフィットしてて良かったと思う)

 

それを、前述の「名探偵物語の天才」というスタンスで物語世界に配置したのが「デスノート」の特異性である。あらかじめ読者にとって「愚者」とわかっている人物が、世界で最高の知能である、という世界観で進む物語が「デスノート」という物語の歪さである。

 

  • 歪さの解釈

ドラマ版「デスノート」はこの構造をわかりやすく再構成した。つまり「身の程にすぎた道具の力を自分の力と混同して、暴走する主人公」を「名探偵高校生がいなくなった現代」に再構成するために、平凡な高校生にしたのだ。

 

このため、「デスノート」のもつストーリーは明快になり、狂気に落ちる主人公はよりストレートに伝わるようになった。反面、原作の持つ歪さが醸し出す味わいは失われてしまった。

 

・Light up the NEW world

 

そして、「Light up the NEW world」である。

 この映画の製作陣は、前作「映画デスノート」の枠組みと歪さを、鑑賞者も理解しているものである、という前提でこの映画を作っている。

そして、過去を反省している。

 

徹頭徹尾、「デスノート」が「大したことのないアイテム」として扱われるのはその証左であろう。世界の人々は愚かで、拳銃に劣るような力しかなく、爆弾一個ほどのテロも起こせないような馬鹿げたノートを、大仰に奪い合う。

本物のテロリストが繁華街で数十人、百人を超える人間を銃殺する今の世の中で、一人一人ノートにちまちまと名前を書く姿は滑稽であり、愚かしい。

 

この映画はそれを「馬鹿げたことだ」として描いている。

夜神月の考えは「馬鹿げたこと」であり、その後継者を名乗るものたちは夜神月より一段落ちる知性をもったうえで、さらに愚かしい考えに囚われたものたち、破滅するべくして破滅するものたちである。

 

前の映画「デスノート」はおそらく、一部歪さに惑わされた視聴者を産んだのかもしれない思う。夜神月の思想は正しく、彼を殺すのはよくないことだ、と思った視聴者はひょっとしたらいたのかもしれない。

 

だから、続編であるこの話は一切「デスノート」を肯定しない。

道具のしての良さ、としても、その道義上の良さとしても。

 

この物語は映画「デスノート」にケリをつける物語であり、作中でも夜神月の残滓とLの残滓は対消滅的に消え去り、「デスノート」自体の神話性もたんなる銃火器に鎮圧されることで、ほぼ失われる。

 

それは、僕らの生きている現実に近い世界で、たぶん、「デスノート」という歪このうえない世界は消えて、平凡な犯罪組織と、平凡な刑事組織と、平凡な生活の世界が、ここから始まる。

 

(主要登場人物たちの「本名」が平凡この上ない名前だったのも、こうした「英雄たちの去った後の世界」感を出している)

 

この「デスノート Light up the NEW world 」は素晴らしい映画だった。

そうして「デスノート」の持っていた二つの歪さは解消される。「天才高校生」は永遠に失われ、「デスノート」は現実世界においてたいした優越性をもつ道具ではない。

 

伝説時代が終わり、残された世界に、天才たちを失った凡人の物語が始まる。

これは「デスノート」にケリをつける映画として、これ以上はない結末だと思う。

 

勝手マイベストアニメエピソード

よろずが美しい完全無欠なエンディング、というのが如何にいいのか、ということを自分の脳内に刷り込まれたのが本エピソードとなります。

だって、今まで見た中でも最強に近い感じの悪役でラスボスのガーゴイル様が「さらばだっ」っていうんですよ。その直前のところで、明らかに自分の立脚点を完膚なきまでに否定されて倒された人が、「さらばだっ」ですよ。

毎回見るたびに、なんでガーゴイル様が、あんな能無しのネモ君なんかに負けなきゃいけないんだというか、本当に、そのすぐ油断するところ、一回でいいから直そうよ、ってなるわけです。

しかし、ともあれ、この完全無欠なエンディングに、打ち上げまで付いてくるわけです。全員のその後と、エバーアフター。やはりエンディングには打ち上げが大事です。最終回に打ち上げがあるアニメはいいアニメ。

けいおん!!の二部とかは、どっちかというと間延びした感じがするのですが、第一部はテンポよく物事が進むむことと、比較的「リアル寄り」に寄せているのがたまらなく好きです。

この13話も、初めてのアルバイト挑戦がうまくいかなくて泣くムギ、ですよ。普通ふわふわ日常系の女の子が何事かに挑戦してストレートに失敗しないよ。でもこの話は割とみんな失敗します。サブカル女っぽく一人旅に出て途中で寂しくなって帰って来ちゃう澪とかね。おかしくねーし。

プリキュアは、プリキュアやりながら中学生もやっています。

それって普通のことで、誰もが複数のことを同時に進めて生きているわけです。

まあ、滅多に中学生活をしながら、世界を救ってしまうことはないですが。

来海えりかさんは、一般的な中学生よりも破綻した性格をしていて、この一年間のストーリーが始まる時点では「一緒にいると迷惑な子」なのですが、それがどうにか自分で自分を乗りこなす事が出来てきて、普通に部長としてメンバーを切り盛りしている様子がここで描かれます。

でも、誰もがみんな、そうなれるわけじゃない。強烈な中学生の自我を誰もがうまく扱えるわけじゃない。そうした自分の心が暴れてしまうことと、どう付き合うのか、というのが「ハートキャッチプリキュア」だったと思うわけであります。

だから、アメンボ赤いなアイウエオ!

一人屋上で泣く部長さんはすごい絵になるのであります

「とある」シリーズって全然興味なくって、見てもなかったんですが、飛ばし飛ばしで観ていた再放送のこの話。佐天さんと初春の電話で、佐天さんが泣いて、初春が声をかける場面でこのアニメを最後まで見ようと思いました。

理想と程遠い自分とどう折り合うのか。自分がどんなに理想に届かない存在であっても、それを否定することは自分に関わる人たちの気持ちも否定することである。自分の自負と折り合い、そして先へ進むのだ、いうのが佐天さんというキャラクターとレールガン1期の物語だったと思います。

  • ちはやふる2期 十九首「ゆくへもしらぬ こひのみちかな」

べ、別に女の子が泣く話が好きなわけじゃねえし。男子として理想に追いつけないと心のどこかで思い、諦めながら、止まりながら、それでも一生賭けても運命に抗う。真島太一の土壇場であります。

太一はえりかとか、佐天さんと違って(高校生ですからね)、もう一回諦めているわけで、だからまあ、幼馴染の千早が好きでありながら、なんとなく彼女作っちゃったりするわけで、でも、もう一度頑張ろうと思いながらも悪い意味で大人なので、すぐ諦めちゃうわけです。

そのすぐ諦めてしまう太一の弱さ、というのはこれまで散々出てくるのですが、それが初めて踏みとどまって、戦おう、というのがこの回です。しかし、それでもまだ、戦おうとしても「行方も知らぬ」と言ってしまう。

  • あずまんが大王第19話「あくび名人 / なんだか青春 / 大人の花見 / 子供の花見 / 桜」

にゃも先生がお見合いに行く話。アニメオリジナル回。

このオリジナルエピソード、評判あんまりよくないんですよね。でも自分好きなんです。

あずまんが大王というのは、日常系四コマのおそらく最初の流行を生み出した漫画・アニメでありながら、女子高校生の入学から卒業までを描くというおそらくシリーズ構成上の正解を最初に提示してしまった罪深い作品であります。そのなかで、明解に時間が過ぎていき、それが不可逆であることを示す、このオリジナルエピソードの位置づけは完璧に近いものがあります。

時間経過。それが3か月、6か月、あるいはそれ以上の時間をともに過ごすTVシリーズについているものだと思います。神様で中学生なゆりえ様たちも、自分たちが中学生である時間は限りがあることを自覚しつつ、その限りある春の時間を共にします。

時間経過、そうして、かつて一緒にいた子供たちは大人になり、やがてすれ違うわけですが、その「美しい少年時代」(カッコつき)と大人となってすれ違う時間を描いたことが、ラーゼフォンを記憶に焼き付けています。本当に、あのテレビアニメシリーズは「子供たちの夜」と「ブルーフレンド」だけだといわれます。しかし、そうではないことは「蒼穹幻想曲」「多元幻想曲」が証明してくれます

時間経過、ラブライブ!2期は時間が過ぎていくことを明示的に語っている作品でした。そのなかでも、明確に継承と時間がすぎていくことを登場人物たちが自覚的に扱っていることを示しているのが、この話数でした。

完璧なエンディング。完璧なオープニング。それが宇宙のステルヴィアであります。1話と26話の完璧さ。そこから振り返るべき、全ストーリー。永遠に続く、多数のパターンの未来と過去。

 

ラブライブ!サンシャイン1話感想「お姫様になれない女の子は魔女になるしかない」

ラブライブ!サンシャイン」始まりました。

いろいろと思いを巡らすことができる一話目でした。

 

ラブライブ1、2期は作品テーマがぐるぐると変わっていく話でした。

「学校廃校になっちゃう、どうしよう!」

といって集まってきたメンバーは、変な子たちでした。

ふつう、「学校が廃校になる」ことに抵抗する子たちというのは、「学校が好きで好きで仕方なくて、学校生活が充実している子たち」だと思うのですが、ラブライブ!で集まってきたのはどいつもこいつも「学校生活が充実していない」子たちでした。

であるので、当然のことながら、「廃校」テーマはメンバーが集まったそのころに遠ざかっていきます。次にやってきたのは「わたしたちは何者なのか」というテーマでした。こうして集まった私たちは何者なのか、移り変わっていく私たちはどうあるべきなのか。というのが二つ目のテーマでした。

で、それに答えを出した後に劇場版で提示されたのは「スクールアイドルとは何者なのか」ということでした。ただ、これは劇場版が盛りだくさんなために、十分に語られていませんでした。

 

そこで、「ラブライブ!サンシャイン」です。

これは最初から「スクールアイドルとは何者なのか」ということで始まるお話です。

 

千歌はいいます。「私は凡人だから」

常に誰かの活躍を、遠く離れたところから見ている側の人間。

自分には何も才能がなく、何かに夢中になることもなく、きっとこのまま何者にもなれないのだろう、そう思っていた。

 

その話をききながら、連想したのは二つのことでした。

ひとつはアニメ版「アイドルマスター シンデレラガールズ」のことです。

 

アニメ「デレマス」で卯月はいいます。

「自分には何の取り柄もない、何も特別な才能がない。私には何にもない」

 

しかし、卯月と千歌の「自分には何もない」は全く違います。

それは卯月の「自分には何もない」は、「自分には何か特別な才能があるはずである」という自意識が言わせているからです。千歌は知っているのです。本当に「自分には特に何もない」ということを。それに対して卯月は自分には先に候補生を辞めていった子たちとは違う何かがあるに違いない、と信じている。

 

おもえばアニメ「デレマス」もアニメ版「アイドルマスター」の後を継いだ二代目でした。そして、そのエピソードを振り返ると、それは「自分のエゴ収めるのに足りる硝子の靴を探す女の子」のお話しでした。

 

卯月もそうですけども、評判の悪い未央の「こんなはずじゃなかった」という騒ぎも、「自分が履くべき硝子の靴はこんなものであるはずではない」という確信が言わせています。

 

自分のことを「お姫様」と考えていて、「誰か自分を見つけてくれる魔法使いか王子様がやってくる」と信じている女の子と、その「魔法使い」あるいは「王子様」として存在する「プロデューサー」のお話し。

それが「アイドルマスター」であります。

 

それに対して「ラブライブ!」の子たちは自分を「お姫さま」には仮託していません。

だれかがやってこなくても、自分でお城に丸太をもっていって、王族一党を殴り倒す側のキャラクターたちです。

 

むしろ、自分のためには誰もやってこない。そう確信しているからこそ、彼女たちは「スクールアイドル」となったのです。

 そこに「スクールアイドルとは何か」という問いの答えか、そのヒントがあると思います。

 

さて、連想したもう一つは「けいおん!」です。

それまで何も熱中することのなく、自分になにか才能があると考えていなかった女の子が、その「何か」を見つけるお話しです。

 

では、そこで思うことですが、「なんでHTTは武道館ライブができなかったのか」です。

そら作風の問題だ、とは思うのですが、より具体的な問題として「方法がなかった」ということがあると思うわけです。

 

けいおん!」には彼女たちが、武道館にたどり着く余地がまだありましたが、それは実現されることはありませんでした。

普通の女子高校生が、武道館でライブをするためには、何らかの飛躍がいります。

そのうちの一つは、女子高生の音楽グループが何らかの方法で武道館に立てるシステムが存在すること。もう一つは、誰か外部の人間、例えば音楽プロダクションのプロデューサーが彼女たちを武道館まで連れていくこと。

 

この、後者のメソッドをとったのがアニメ版「アイドルマスター シンデレラガールズ」であり、前者のシステムが存在する世界のお話しが「ラブライブ!サンシャイン」です。

 

このような仕組み、ごく普通の女の子たちが何かのきっかけで光り輝くステージに立って、「何者か」になれる仕組みが存在する世界。「特別になれる仕組みがある世界」

と思うと、まあ「響け!ユーフォニアム」とかも思い起こされるのですが、そういう「闘っていけば、魔法使いや王子様がいなくても、お城にたどり着ける世界」です。

 

ラブライブ二期!」→「デレマス!」と来まして、「お姫様」たちのお話は終わりましたが、これから、また「魔女」たちの話がはじまるのです。

三十代のおっさんが2016年春季に見てるアニメ(5話目ぐらいまで見て)

今期見てるアニメ

だいたい以下のようなアニメを見ている。今期は自分のような三十代むけのアニメでお腹いっぱいになる。

どう考えても若者向けじゃないアニメが連打されてるのは、リサーチした結果、その世代が一番円盤を買うとか、そういうことかな?。

個別感想

ジョジョの奇妙な冒険第4部

4部は自分がジョジョで一番好きなパートだ。だから、アニメ化されたのはすごく嬉しい。しかし、不安もあった。前のジョジョ3部だ。

ジョジョ1部、2部は文句のない、期待以上のアニメ化だった。だから、3部のアニメにもすごく期待をした。実際、3部のアニメはよくできていた。一話取り出してみたら、どの話数でも満足したと思う。

しかし、3部のアニメが始まって、1ヶ月ぐらいした時点で、自分は今見ているジョジョのアニメに飽きていることに気がついた。あまりにも原作どおりすぎる。そして、4クールは長い。テレビの前に縛り付けられる時間の長さに対して、新しい体験が余りに少ない。

その点、4部は3部よりさらに長いので、また原作を追うだけで「見る意欲の湧かない」作品になっていないか不安だった。

しかし、見始めるとそういう前の不安は払拭された。テンポが良くなるように各エピソードが再編集されていて、原作マンガで冗長に感じたところがあっさりとしていて見やすい。

あとは、日常エピソードを挟みつつ、吉良を追う4部がシリーズ全体を通してのメリハリをつけたものになるのかどうか。不安半分楽しみ半分。

うしおととら(3クール目)

ジョジョ」とは対照的に「うしおととら」の前半26話には一切の不満はなかった。しかし、今始まった3クール目は全体的に「こんなはずだったっけ?」という感じがつきまとう。

うしおととら」は、 風呂敷を広げて畳む話である。漫画版の風呂敷のたたみ方は若干雑なところもあったが、とにかく数多くの脇役たちのサイドエピソードに片っ端からケリをつけ、どれもこれもちゃんと着陸させた、その勢いが漫画「うしおととら」の終盤にはあった。

しかし、アニメ版では、この風呂敷の広げ方が若干足りなかったことが、畳む段になってわかってきた。一応、最低限の要点は付いているものの、膨らみが足りないのである。このため、どうも伏線が回収されてきても、「こんな広げすぎた風呂敷畳めるのかよ!?」じゃなくて「ああ、この風呂敷なら畳めるよね。ほらたためた」みたいな感じがしてしまい、漫画ほどの「風呂敷を畳み切った」爽快感はない。

一番大きいのは、脇役として終盤で麻子を沖縄まで運搬した香川、片山たちがいないことだと思う。確かにメインストーリー上ではそのあたり、いなくていいキャラであり、削ったのもわかるんだけど…麻子の新しい服(明らかに麻子の趣味でないやつ)どっから出てきたのよ?

とはいえ、林原めぐみによる白面のものの迫力があって、直近の「獣の槍破壊」はすごく良かった。ここでたっぷりラスボス戦に時間を費やすために、流とかはアッサリ終わらせたんだと思って今後を楽しみにしたい。

逆転裁判

見始めるまで、逆転裁判は「今さらアニメやるの?」って感じだった。「TRICK」とかやってた頃にやるべきアニメだったんじゃないか。なんで今さら。実写のディストピアSF感は割と好きだったけど、あれからも随分経つし。

実際、1話、2話と見始めたが、ゲームをまんまアニメにした感じで、うーん、これ見なくていいかなあ。と思った。素直に思った。

でも、真宵ちゃん出てきくると一気に良くなった。成歩堂との距離感が近すぎてきゃわいい。ウェヒヒって笑うし。いまアニメ化しなかったら、ウェヒヒって笑うキャスティングにならなかったと思うので、これは良かったな、と。あと、90年代の夕方アニメ見たいでEDもいい。

ゲームまんまかなあ、と思っていた絵面も、ゲームに存在しない成歩堂が移動する場面や、他のキャラクターの視点で成歩堂の動きを見る場面が増えてきた。だいたい、逆転裁判も15年は前のゲームなので、実際おっさんとしてもストーリーを覚えていないので、段々新鮮な感じごでてきた。

と、いう程度に思っていたが、トノサマン編がすごく良くて、この3話は本当に楽しく見られた。

特にトノサマンファン男子による「正義とは何か」の訴えは素晴らしく、「あれ、おれ、正義とは何か、ということを恥ずかしげもなく語る漫画だから「ジョジョ」とか「うしとら」見てたんだよな…」と思った。まさか、逆転裁判が一番ストレートに正義について語るとは思わなかった。深夜帯だと、たぶんあんなに照れずに正義を語れなかったので、こういうところも、夕方アニメの良さなのかもしれない。

マクロスΔ

マクロスΔは今季、唯一のオリジナルストーリーものとして見ている。おっさんになると、ストーリーの先がわからないやつを沢山見られないのだ。

歌って戦うアイドルグループに憧れて、田舎の星から出てきた女の子が、アイドルグループの一員となり、それを守って戦うロボット組との交流もあって、ヒロインの頭のハートを見るたびに、 0048、好きだったなあ、と0048のことばかり思い出す。

AKB全く関心なかったけど、0048は良いアニメだった。これは0048からAKB要素を取っ払って、その代わりにマクロスを足したやつだと思う。

しかし、地味。

歌もいい(EDの「ルンがピカッと光ったら」は今季で一番好き)し、スタイリッシュな痴女もいるのに、なんでこう地味なんだろう。ちょっと前のマクロスマクロス7)や、割と最近のマクロスマクロスF)と比べて圧倒的に地味だ。0048の3期だと思えば十分に魅力があるのに、主人公の女の子とダンス青年とエリートパイロット女子の三角関係が、どうにも地味なのが良くないのかなあ。

おそらく本作にマクロスらしさが少ないと思ってる製作陣により唐突に挿入される、露骨なマクロスっぽさは割と好きなので、三角関係が「君には歌があるじゃないか」で終わったら意外性があっていいな、と思う。

セーラームーンクリスタル(3期)

今季の拾い物。

正直、前の2クールは拷問かと思うくらいにひどかった。唯一良かったのはキャストの演技だった。

 何がひどかったかといえば、これまで何度も出てくる原作の短縮化のやりかた、である。

セラムンクリスタルは、一期がアニメ版無印、二期がR、三期がSとだいたい対応している。雑に言えば、一期二期は旧作アニメで2年かけてやった内容を2クールでやったのだ。基本的に主要キャラの数は変更しないで。

そうすると、想像するのは簡単だと思うが、各エピソードはものすごくノルマ消化的だった。敵幹部五人は1話で一人でてきて倒され、セーラー戦士は1話に一人づつ囚われの身になるとか、そういうやつ。

展開としても、どういう仕掛けがあるストーリーなのかか非常にわかりやすく、それは「なかよし」に連載された漫画としては分かるんだけども、今見るおっさんとしてはつらい。

あと絵柄。前のセラムンクリスタルは、原作漫画の絵柄を多分理想として、旧作アニメの絵柄から脱却するしようとしたんだろうけど、すらっとキリッとした元のデザインは良かったと思うけども、繊細なデザインはちょっと絵が荒れると、もの凄い変な顔になるんだよね…

と….いうわけで、ほとんど三期期待してなかったのだけども、ちまちま見てみたら、これが想像より大分よい。

まず、キャラデザ。全体的にぽってりとしたデザインになりました。前作の「女子が好きなスタイルの女子」から「男子(おっさん)が好きな女子」になったと思います。全体的に丸顔になり、手足もわりと容赦なく肉がつきました。その結果、逆に絵柄は損いにくくなり、絵がまず安定しました。

このため、各キャラがセカンドシーズンまでは同じようなハリガネみたいな手足してたんですが、今回まことレイ亜美美奈子で全員二の腕の肉付きが違うみたいな絵にちゃんとなってあて、本当にすごいなあ、と思いました。

次に、作品の雰囲気として、前作のエピソード消化に追われる感じは大分改善しました。まあ、ウッチッーズ5が全滅するにあたる展開はノルマ感ありましたけど、まあ、その合間にキャラクターの掛け合いがだいぶあって、本当に良かったです。

声優陣の演技は大分こなれましたし、全体的に旧作アニメを追う方向性で統一されたため、安心して見られます。土萌蛍とか旧作本人かと思いました。

ストーリーとしても、うさぎと衛と外惑星戦士と内惑星戦士と土萌教授とカオリナイトくんと蛍と…といった感じで、それぞれが持っている情報が違うという内容になってまして、わりと大人の鑑賞に足りる対立構造だと思います。

大阪なるちゃんはどこへ行ったんですかね。そこは原作再現しなくていいと思うんすけども。

ガンダムUC:re

ガンダムUCはまったく期待してなかったです。実際、苦々しいと思いながらDVD全部見ましたし。

うまく言えませんが、ガンダムをワザワザ同じように作り直すこととか、ありえないとおもったし、こういうの好きだろ?ってモビルスーツによるプロレスを見せられるのが本当に苦痛で仕方ありませんでした。

しかし、このテレビ版は面白い。くとくなく、テンポよくて見やすいし。こうしてテレビ番組として見せられると、本当に作画は安定してるし、メカはよくうごく。

これで、冒頭のナレーションがやたらめったら長くなければ最高なんですけど。

まあ、とりあえず、オルフェンズ二期を楽しみにしながら、いまはこれで満足しておきます。 

くまみこ

巫女の女の子が毎週買い物に行くアニメ。もっと、のんのんびよりみたいなの期待してたんだけど、もうこうなったらこのまま最終回までどっかに買い出しに行って欲しい。

作中の村は前にやってた「だがしかし」の村より都会だと思う。

バトスピWドライブ

一話の主人公が夜中にデッキ組んでる場面はわりと好き。その後はなんか、ブレイブストーリーみたいな話なのかな?と思ったらワタルみたいな話なのかな?

 前作の烈火魂ではじめてちゃんとバトスピのアニメ頭から最終回まで見たんですけど、あれはまあ、主人公がまるで周囲のキャラクターと関係性を深めないとか、主人公プレイングには興味あるけどバトスピあんまり好きじゃないよね?みたいな、ガンダムビルドファイターズトライみたいな番組だったので、その辺が残念だけど、自分は田舎のヤンキーが徒党くんで天下取りとかする話好きなので、その方針で進めてくれたら良かったなあ。

児童向けカードゲームアニメで、ヤンキーをあんまりヤンキーっぽく描けなかったのは残念。脳内ではトシさんはタバコくわえてて、早雲ちゃんは男子を手玉に取るスケバンだったんだけど、まあ、ないわな…

魔法使いプリキュア

久々、原点回帰のプリキュア

前回のプリンセスプリキュアがここ何年かの集大成みたいな感じだったので、今年はどうするんどろうと思っていたが、タイプの違う女子二人が知り合って友だちになるのをゆっくりやっていて、よく言えば原点回帰で主人公二人にフォーカスしてじっくりと進むプリキュア。悪く言えばちょっと地味かなあ。

わりと、ここ数年、序盤で三人目四人目のプリキュアを登場させておいたり、敵の幹部のキャラクターを掘り下げたりしていたけども、今回は飛び抜けて存在感のある脇役がいなかったり、敵幹部が感情移入しづらい、いかにもモンスター然としたデザインだったり、主人公ペア以外に視点があまり移らない作りになってる。

また、主人公自身も、前作まで何年かは、自分自身にヒーローをやる動機があるタイプの主人公で話を引っ張っていたけども、今回はわりと巻き込まれ型なので、そういう点でも原点回帰しているけど、ちょっと地味だなあ。。とは思う。



しかし、このように感想を書いてみて思ったが、こういう文書を書くのは辛い。いつも、「オレの勧めるアニメ30本」「レトロゲー紹介」みたいなコピペ記事を苦々しく思っていたが、 自分で書こうとすると、時間は掛かるわ、自分の伝えたい内容にならないわ…

改めて、ああいう薄くてすぐ書けそうな記事を書いて公開してる人はすごいなあ、と思った。ぼくにはとてもできない。

 

2015年、「この子いいなあ」と思ったアニメヒロイン10選

こういう記事に自分も食傷気味なんだけども、その時にしか書けない記事があるということなので、書いてみることにした。

おそらく、アニメ10個とかベストエピソード10個より、私自分の趣味嗜好が出るはずであり、ここに書いてないキャラクターは私が見てないんだなー、と思っていただきたい。はい。この子も好きなんじゃないの?みたいなご示唆いただけると幸いです。

なお、順番は付けてないです。

  • 井上真由子

うしおととら

ベストエピソード「愚か者は宴に集う」

ジョジョ3部」は微妙な心持ちになるアニメだった。大好きな原作がちゃんとそのまんまアニメ化されたのに、アニメ化されてみると、それを見続けるのが辛い。どこでどういう展開になるのか全部わかった上で50話も見るのは辛いよ。「ジョジョ1部、2部」はまだアレンジがあったし、しかも2クールだったので全然見るのが苦痛じゃなかったけども。

そういう不安があった上での「うしおととら」3クールという話ですが、テンポよくていいなあ、と思います。

「愚か者は宴に集う」はだいぶストーリーが端折られているのですが、まあ原作での「前の話の最後では渡り廊下を下から見上げていたはずが、次の話数の最初では渡り廊下に閉じ込められている」と言った謎ワープがなくなってたり、人質が大勢いて必死で逃げてる途中なのに結婚式の真似事を始める真由子、というのも無くなったので、アニメ化されてよかったなあ。しっぺい太郎のエピソード省略されてしまうんかのう・・・。

 

 

  • 小笠原晴香

(「響けユーフォニアム」の部長)

ベストエピソード「まっすぐトランペット」

「響けユーフォニアム」は今年見たアニメの中で通算では一番よくできていたと思います。短かったし。「特別になりたい」かっこいい系女子が大勢出てくるアニメでしたが、その中で一番かっこよかったのは部長ですよ。部長。

いろいろ自分が至らないと思いつつも部活を引っ張っていく意思とか、他の3年連中が自分のことばかり考えていて、本当に部活の運営のためには頼りにならねえ中で、どうにか自分がやらないといけない、と決意する場面とか、いいと思います。

 

 

  • アルスラーン殿下

アルスラーン戦記

ベストエピソード「厭世の軍師」

優れたアイデア複数の問題点を一気に解決するというお話をされていた方がおられましたが、2015年にもなってアルスラーン戦記をわざわざアニメ化する意味があるのだろうか、教科書的な良い子であるアルスラーン殿下に2クールもアニメを引っ張る魅力があるんだろうか、という疑問に対する答えとして、殿下を男の娘にする、というアイデアをぶつけてきたのはすごい。

原作では聖人君主で温和、要するにキャラクターとしておもしろくないアルスラーン殿下を作品のメインヒロインとして立てることに成功しており、素晴らしいと思った。

ともかく、一人一人仲間を殿下のでんかわ力で集めていく前半の台詞のうまさと人間的魅力を、単なる優等生イメージから止揚したのはよかったです。二期あるといいなあ…… 

アルスラーン戦記 アルスラーン つままれキーホルダー

アルスラーン戦記 アルスラーン つままれキーホルダー

 

 

  • 渋谷凛

(デレマス)

ベストエピソード「I want you to know my hidden heart.」

良くも悪くも今年のアニメの顔。アイマスアニメは本当に毎回毎回、誰か鬱になって出演拒否して、「バカリボンがリボンしてなかったらただのバカじゃない、このバカ」と励まされて復帰するエピソードを入れないといけない、そういうノルマがあるのかと思いました。

あそこで帰っちゃうのは非難轟々だった気がしますが、鬱になった同僚の家の前でずっと待ってるとか、延々深夜に電話するとか、そういう詰め方するよりも、ちょっと自分で整理する時間を上げる方がよかったと思います。

その結果、正ヒロインの地位はだいたい卯月が持って行った気がしますが、その後の展開はもっぱら二次創作的に広がっているので、まあ多様な人の多様な受け止め方ができるのはソシャゲから始まったアニメとしてはいいまとめ方だと思いました。艦これぇ・・・

前半の睨む場面と、蘭子のエピソードでの正妻立ちはすごくよかったです。プロデューサーとしては唯一の相棒みたいな地位になったような気がしてます。

 

アイドルマスター シンデレラガールズ ミニッチュ缶キーホルダー 渋谷凛

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  • クーデリア様

(オルフェンズ)

ベストエピソード「葬送」

前の「Gのレコンギスタ」のアイーダ様みたいなポジションかな?と思っていたら、ちゃんとヒロインに成ってきたクーデリア様。アイーダ様がパイロットとしてはポンコツだったけれども、カリスマ性とか政治家としては急成長して姫様の立場を守ったのに対して、カリスマ性の微塵と感じられないクーデリアさま。しかし、その繊細な心配りはアイーダさまにはまるでなかった部分であり、それがよく現れたのがミカを抱きしめるエピソードでした。

作中の一人で現体制を引っ繰り返せるような煽られ方と、実際の小動物的なキャラクターの兼ね合いが脳内でつかないのですが、おそらく後援者とかが過剰に宣伝することで作り上げられた架空の政治的存在なんでしょう。あと、僕もふみたんがいいです。

グシオンというのは、ジーレコのジャハナムみたいな命名規則なんすかね……

 

 

長門有希ちゃんの消失

ベストエピソード「花火」

長門有希ちゃんの消失」における涼宮ハルヒは負けキャラである。作品コンセプトの時点で負けることが判明している。ただし、綺麗に負けることは時として、勝つことよりも価値がある。本作での涼宮ハルヒの負けっぷりはとてもカッコいい。

涼宮ハルヒはキャラクターとして中途半端なところで投げ出されていたが、ようやくアニメ作品でケリがついたなー、という感じ。

負けが分かった上での花火エピソードの潔さ、カッコいいのです。

 

 

  • 天ノ川きらら

(プリンセスプリキュア

ベストエピソード「夢かプリキュアか!?

輝くきららの選ぶ道!」

プリキュアの黄色はあざといのが商売ですが、黄色登場10周年の記念としてついに「意図的にあざとい」「それが受けるとわかって演じている」というキャラクターが登場したのはエポックメイキングな出来事だったと思いました。

思えばキュアロゼッタのあたりから黒い部分があったような気もしますし、大盛さんも高い政治力を生かしてチームを自由に操っていた気がしますが、個人レベルで意図的にあざとい、なおかつ好感度を視聴者に与える、これはなかなかできないやつです。

 モデルを選ぶか、目の前の助けるべき人を守るか、で迷ったときに、選択の結果がわりとリアルに厳し目なのがプリンセスプリキュアのいいところだと思いました。

 

 

 

  • 天海悠紀華

(俺物語)

ベストエピソード「オレへの手紙」

「俺物語」はヒロインと主人公が2話まででくっついてしまい、なおかつヒロインは非の打ち所がない善良で可愛く、主人公は信じられないほどに男前であるため、二人がくっついてしまうと、その間にほとんど障害らしい障害がないので、このあとどうやって2クールやるんだろう、と思っていたが、主人公の友人砂川姉弟の話にスライドすることで、徐々に盛り上がっていくんですが、その最高潮にでてくるのが天海ゆきかちゃんです。この心境の変化が丁寧に出てるエピソードはいいなあ。

  

 

俺物語!! Blu-ray  Vol.8

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  • 荒井花

花とアリス殺人事件)

岩井俊二作品に出てくる中学生引きこもり女子というだけで、胃に痛くなる設定なだけに、登場してみたらマイルドな引きこもりでよかった。声の感じがまたいいんですわ。飄々とした感じでありつつ、中二感があって。

 

 

  • チドリ

(persona3 劇場版#3)

ペルソナ4アニメーションには様々な不満点がありました。「バトル中に人間が棒立ち」「どんな敵でも結局主人公が倒す」「仲間の各キャラの見せ場が少ない」などです。この3つの不満点は今年のアニメだと「セーラームーンクリスタル」であったやつですが、ペルソナ3劇場版ではだいたい解決されました。

ペルソナ3劇場版にはその代わり「やたら展開が早い」という欠点があり、感情を高める暇もなくエピソードが展開していくのですが、その中でもチドリと順平の話は豪速球で飛んできて、かつ、なんとなく鳥海さんと沢城さんの熱演によって説得力を持ってしまった、というやつでした。あの間のなさで、あんだけ記憶に残ったのはすごいと思います。

 

  • 羽佐間翔子
ベストエピソード「第三アルヴィス」

花を抱えて立ってただけですが…ええっと……