イングロリアス・バスターズ

見て来た。
先週見た『THIS IS IT』と比べると、映画としてずっと面白かった。やはり、私には映像をみるのにストーリーが必要なんだなあ。と思った。
しかしながら、この映画のストーリー展開はよくわからなかった。いや、話の筋は理解できるんだけど、なんでわざわざこの展開で映画化したのかがよくわからない。各エピソードのつながりが、非常にいびつに感じた。具体的には『ついさっき女を△△したSDのオッサンが突然××する』のと『ヒトラーゲッペルスが劇場で○○』とこ。なんでそんな不自然な話にしたんだろう。最初から××するつもりなら△△しなけりゃいいのに。一応史劇の体裁があるなら○○しなけりゃいいのに。でも、やっちゃう。それで、こんだけ場面場面の力で引きつけるってすごいなあ。

ナチス占領下のフランスで、家族をナチスに殺された女がふとしたきっかけで手に入った機会に復讐をする計画を練る。
同じころ、アメリカの特殊部隊『イングロリアスバスターズ』がフランスに潜入して、ドイツ軍に恐怖を与えるためにドイツ兵を残忍に殺害する作戦を繰り返していた。彼らもまた、イギリス人士官とともにナチス上層部を一網打尽にする作戦を計画しつつあった。
ふたつの計画は偶然にも同じひとつの映画館を舞台にしていた。

ここまではわかる。

でも、だったら普通はふたつの計画が入り乱れて、お互い目的は同じなのに意図せず足をひっぱりあってしまうとか、お互いに関連人物が駆け引きをして、うまくいくとかあるやん。女は仇のナチに復讐を果たすことができるのかどうかに結末が大きく関わるのが、話の筋としては妥当やん。でも、そうじゃない。
女の仇のナチ公は、途中からブラピの方に関わっていってしまって、女のエピソードからは遠ざかっていき、最終的に非常に不可解な結末につながる。あれ、絶対全滅エンドだと思ったのに、なんでこういう話に?

この話では、ふたつの筋書きは最後まで特に交錯することなく、それぞれの終わりを迎える。場面場面の緊張感だけで二時間以上必死になって見させられたのはすごいと思うけど、うーむ。なんだろ。この感じ。
あと、ヒトラーに『この映画は君の最高傑作だ』と言われて泣いて喜ぶゲッペルズはタランティーノ本人だと思ってたら違った。あんな顔じゃなかったっけ。

アリーベデルチ!(さよならだ!)