世界の継続性と「終わってしまった」人々

のだめカンタービレ・25」を読んだ。まだまだ続くのかなあ、と思いつつ裏表紙を見ると「のだめカンタービレ・全25巻」と書いてあって驚いた。えー、各キャラクターの持っている現状の課題って、ほとんと解決し終わってないじゃん。まだまだ話が続けられそうなのに、ここで終わるのか。

逆にですね。「ひぐらしのなく頃にOVA」を見てると非常にこう、泥を喰わされてるような感触を懐くのは、これがもう全部終わってしまったキャラクターたちの回顧録的なストーリーだからなんだと思った次第。「あのとき頑張ったよね」「みんなすごかったね」とすべて過去形。「祭囃し」編の後半あたりから、思ってたんだけど、レナとか魅音さんとか紗都子とか脇役だなあと思ってたけど、どのキャラクターのエピソードも、話が始まる時点でもう世界の中で果たすべき役割が終わってしまってるんよね。

ひぐらしのなく頃にが好きで、ずっと楽しんで見てきて、なのになんかハッピーエンドだと提示された祭囃し編の後半ぐらいから、どうにも予定調和的すぎて楽しめない。なんでだろうな、と考えてしまうのです。たぶん、それは彼らには作品完結後の未来がないからでないかな?

あの世界のあとに続くのは、たぶん永遠の夏休み、ただ幸せな日々か続くビューティフルドリーマーの世界。

「10年前ぼくらは 獣の騎士団と名乗る超能力者集団で」、だけど、それでもそうした戦いの日々っていうのは、過去の1イベントでしかないわけです。どんなに輝かしい出来事も、どんなに愚かしい惨劇も、すべては過去へ流れていって、現在や将来にたいして取っ組み合わないといけないわけです。でも、なんかもう、「ひぐらしOVA」みてると、こいつら過去の残照だけでもう生きてる感じがして見ていてつらい。そういった過去の栄光や因縁から解放されよう、という話だったんじゃないか、と思ってたんだけど、なんかひたすら過去の失敗や栄光を語って、現在からどうするのか、っていのを語らない姿をみてると、ダム戦争で勝って毎週茶飲み話をしてる爺さまたちとメンタリティが変わらないんじゃないかと思っちゃう。

「若干十四歳の美少女が、世界を救ってしまうなんて! この世界が輝いているのも、すべて私のおかげ!」って言う言葉はフィクションだと割とありきたりな状態だけど、「これからどうなっちゃうの!? これから、私に何ができるんだろう?」って台詞に続いたのが非凡だったと思う次第。

逆転裁判3」の終わり方が良かったのは「このあとも成歩堂と真宵ちゃんの活躍は続くのです」という継続性がそこに見て取れたからで、「逆転裁判4」があんなに酷かったのは、それがいったん断ち切られちゃったからだと思う。でもって「逆転検事・1」が今ひとつノレないのは、これが結局「1〜3」という過去を回顧した世界観でしかなかったからで、「変わらぬ御剣と変わらない人々」の話だったからじゃないかな、で現在プレイ中の「逆転検事・2」が以外と面白く感じるのは「ゆっくりと変わっていく御剣と周囲」を醸成することができてるからだと思ったわけです。