家のiPodも3台目になろうとしている訳だが

Zuneは「iPod引きこもり」の殻をこじ開けられるか?

iPodのイヤホンは涼宮ハルヒになる手段である

上のブログを見て、タイトルが面白かったのでリンク先である下も読んでみた。

iPodの伝道師な人の間では、音楽を聴かせあったりしない、的な発言が多いのかな?
まあ、アップルの親玉がそう言ってるわけなんですが。

私は結構、知り合いの間だったら、好みの曲の交換とかするんじゃないかなあ、と思います。
友人宅に行ったときとかCDラック見たり、車に乗っけてもらったら、適当に持ち主の好きな曲をかけてもらったりするもんじゃないんかな?。どういう音楽が好きなのか、ってのは人を見るときの手軽なファクターなんで。本を読まない人はいても、音楽を聴かない人はそうはいないし。iPodを見せると、たいていの友人はクリックホイールで遊んで、どんな曲が入っているかみようとします。

iPodをそこに嵌り込む「壺」と例えるのは、うまいアイデアな気はするけど、ジョギングするにしても通勤電車に乗るにしても、たいていの人間は一人でそういう公衆の場にいるときには、耳と目を閉じて、口を噤んだ人間になろうとするものでは?。別に、iPodウォークマンがあろうがなかろうが。

下の記事での、80年代の「僕らは互いに分かり合えるはずなのに、なぜ争わないといけないんだ」という時代の空気から、90年代の「こんなに頑張っているのに、どうして、みんなは僕のことを分かってくれないんだ」という袋小路を経て、ハルヒの「みんなに分かってもらえなくても、あたしは、あたしの好きなように日々を送ってやるんだ」という開き直りに達したという論評と、それを「パソコン」「ケータイ」「iPod」と分類したのは、ちょうど2ちゃんねるには30代以上のユーザーばかりがあふれていて、20代や10代は「ケータイ」のコミュニティの文化圏から「パソコン」のモヒカン族あふれる匿名文化圏へは渡ってきていない、という記事を読んだばかりだったので、面白いと感じました。

ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝 [絵文録ことのは]