いやよくない


トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか


私はトラックバックはほとんどしたことがないし、されたことも少ないけれど、この意見は参考になった。
このタイトルの分類によると、自分は根っからの「言及リンク文化圏」人間なんだなあ。


リンクを張ることについて、何かそれについて言及しているのであれば、本人がいやがっているんでなければ無断でもいいだろう。
というか、そのサイトに無断リンク不可とか書いてあるなら別に「〜の条件でググれ」と書いてもいいけど、そんなの書く側も閲覧する側も無駄じゃないか、と思う。


逆にとくに内容もないのに「ありがとー」「さよーなら」とコメントを投げ合うのもなんかへんだ。
そもそも、相手の書いた内容について何か付加するものがないのなら、トラックバックなんて返す必要はないんじゃないか?
リンクだけすりゃいいと思うんだが、そうじゃないのか?。


と、記事を読み始めた時には思っていたんだが、最後まで読んだらなんとなく「挨拶トラックバック」「特に内容のないトラックバック」をする理由が分かった。
ここでいう「分かった」というのは、「そういう意見を持っているヒトが存在することを理解し、その言い分としてこの記事で仮定されたもの」が分かったということだが、そういう意味では分かった。
個人的な感性としては、まだ理解できないが、文化の違いとはそういうものだと思う。
……こういう納得の仕方ができるため「文化の違い」という言葉は便利だ。


ちなみに同じヒトのウェブの二つの文化圏の衝突【後編】ネガティブリンクと批判する側・される側の論理も、長年自分が「なんとなくこういうことかな?」と漠然と思っていた部分が図示されていて、非常に納得できた。


批評は建設するためにあるのであって、知らないところで何か言われていても、お互い一銭の得にもならない。批判されること自体に感情的になるのは理解に苦しむ。
もちろん、ネットっつーのは未熟者の集まりであるため、批判はたいていにおいて無礼で舌足らずであり、批判者の態度が悪い場合や理屈の通らない批判には怒ってもいいような気がするが。


と、思ってたんだけど、「ヒトに人目にさらされているところで意見されること自体が嫌だ」という文化もあるんだなあ。
なんとなく、そういうヒトもいるのか、程度に思っていたけど。