発想法―創造性開発のために

発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))

発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))

噂に名高いものの、一度も目にしたことのなかったKJ法の本。
「知的生産の技術」からの流れで購入。

意外にも筆者の研究生活に関する愚痴が多く、「知的生産の技術」よりもずっと筆者の人間くささを感じる。悪く言えば学者である個人の経験談が語られる量が「知的生産の技術」よりも多くて、普遍的な文章の量が比較的少ない。
KJ法とは、カードをつかって発想をまとめる手法である、とくらいに思っていたのだが、ちょっと違ったのは、発想をまとめる、というよりは何が問題なのかわからない状態から問題点を明らかにする手法である、ということか。うまく文章化できないな。

筆者は文化人類学者なわけだが、フィールドワークに出かけていったとして、現場で何をどのように行えばいいのか、つまり、誰に何を聞いて、どのように現場で資料をあつめ、それを論文化するのか、という手法がまったく確立されておらず、個人個人の経験と口伝で行われていたため、科学的な方法論としてKJ法を生み出したという。ここでいう、科学的手法とは、やり方だけでなく、何をどのように、どうやってを再現可能なようにまとめておくべきである、という作者の思いと、作者がKJ法自体が口伝で伝えられるようになることに対して危惧しているのがかなり面白かった。

以下、ポイント。

  • 情報に必要なタグは「とき」「ところ」「出所」「記録者」である。それらが揃っていれば、情報についているバイアスがどのようなものか、斟酌したうえで情報を扱える。
  • 物事を観察するときに注目すべきは、「類型的行動」「状況」「主体」「対象」「手段」「目的」「結果」の七点である。類型的行動とは、その世界でパターン化された行動のことであり、人物は大抵この類型的行動を取っている。また、手段と目的、目的と結果はそれぞれ相反する場合がある。
  • KJ法とは、「何か」と他の「何か」の間にあるつながりに意味を見いだすことが最重要である。このとき、大きなまとまりから小さなまとまりへと分類していくのではなく、小さなまとまりからだんだんと一つのまとまりへと収束していくことが重要である。
  • 日本の男子は、大分類をしたがる傾向がある。とくにインテリほどその風は強い
  • また、日本人はある程度この「物事の関連性をみつける」能力が優れているが故に、それに依存しがちである。ある程度複雑で、ちょっと考えてもどうにもならない物事に対しては、すぐに回答を求め、それを模倣して手本とすることに全力を注ぐ。アメリカ人などはトライアンドエラーの気風があるので、有望な方法をいくつか思いついたら、たとえ一見ばかげていてもそれを片端から試していくという部分があり、最終的には大きなものを作り上げる能力がある。ただし、アメリカ人は一般的に、物事の関連性をみつけていくのは曖昧な日本人ほど上手ではない。(1960年代の筆者の考え)
  • こうした、「何か」と「何か」の間の関連を明らかにし、そこから新しい物事を発想するのは、かつて天才がひらめきによってすることであったが、KJ法によって我々凡人も、同じことができるようになるのではないだろうか。また、天才のひらめきと違い、この方策ではどのような思考経路でそこに至ったか、を振り返ることができるのが重要である。