天地人

兼続と景勝の上洛編。

北条氏政が、またしてもパターン通りの小者で泣けてくる。武田勝頼真田昌幸も同じようなキャラクター造形だったよーな気がするのだが、他のタイプの人物はいないのだろうか。松方弘樹の家康は、シリアスな時には頭のてっぺんを映さないようにする、という方針が徹底されていて、そこが逆に笑いを誘う。本当に、なんであんなののっけてるんだろう。

景勝は子どもの頃から人物が一貫している好人物だなあ。それに対して、兼続は本当に何をやっているんだろう。外面がいいから周囲はみんな誤解しているけれど、実体は知恵があるわけでもなければ、武勇もなく、景勝の相談相手にすらならない、という。実体が外面に伴わない家老だわなあ。子どもの時には神童でも、大きくなったらただの人。ということが、この大河のテーマなんだろーか。それとも、サブプライム問題の後に作られたこの大河ドラマは、直江兼続という中身がとくにない一人の人物の信用が、周囲の過剰評価によってバブルに上昇していき、それが直江状とか最上家との戦いのドタバタによって弾ける、というそういう展開を辿るドラマなんだろーか。自由惑星同盟の民衆が、敗戦直前にトリューニヒトに対して懐いた、「俺たちが担ぎ上げていた、この家老は、ひょっとしたら大した人物じゃないのでは?」という疑念を一同が懐く場面とか見てみたい。

篤姫の展開は、ドラゴンボールのごとく、篤姫が次々と登場する敵キャラを倒しては懐柔していく展開だったので、周囲が担ぐ篤姫に実体があるように見えていたのだけれど、兼続の場合は、周囲が策動した結果、たなぼたのように家老の地位が落っこちてきただけで、あとは人付き合いで地位を維持しているようにしか見えない。まあ、ちゃんと人付き合いができる、というのは、重役には必要な能力だと思いますけどね。それにしたって。