時をかける少女 の疑問点(ねたばれ)


一回目は気にせずに見ていたんだけど、二回目にすごく引っかかった点。
千昭の台詞のシーンで、シュレーディンガーの猫のカットもあったし、きっと、ほうぼうで述べられてるんだろうなあ。
コペンハーゲン解釈なのか、エヴェレットの多世界解釈なのか。


一個目はいつもは時間が戻った時には真琴だけ戻っているのに、最後だけ他人のタイムリープに真琴が巻き込まれる点。それまでの流れからすると、非常におかしい。
それまでは真琴が時間移動しても、他の人間はそれに気がつかないんだから、ここでも「この」真琴は自転車事故が起きた世界から逃げられないと思うんだ。


えーと、「クロノアイズ」みたいに、自転車事故が実際に起こる前に、タイムリープが起こって助けられたから、自転車事故が起こらなかった、というなら話がわかなくはない。ただ、台詞からすると、自転車事故は一回すでに起こってしまっているんだよなあ……。


もう一個は、分かれ道の初回に、千昭が振り返ると自転車の後ろの席に真琴が座っていない、というシーン。
たしかに、真琴の主観からすると、ここで真琴は時間移動をしているので、千昭の後ろからいなくなってもおかしくないんですが、じゃあ、この後の「真琴がどこにもいなくて、千昭だけいる世界」はどうやって続いているんですか?
それまで、ずっと真琴視点で時間移動が進んでいくから、「時間移動者が観察していない世界」は存在しないのだと思っていたんだけど、「真琴がどこにもいなくて、千昭だけいる世界」があるとすると、真琴がタイムリープするたびに、真琴がいない世界ができてるってことか?


うーん。もう一個あったな。
真琴は同じ時間帯へ移動した場合に、自分自身とかち合っていない。
普通に考えると、カラオケ屋には同時に十人の真琴が存在するはずだけど、真琴が戻るたびに「お前、ここに座ってなかったっけ?」と、それまで居た真琴が居なくなっている。


コペンハーゲン解釈 - Wikipedia


エヴェレットの多世界解釈 - Wikipedia


あ、どーでもいいですが、二回目見て、奥華子さんの主題歌と挿入歌の歌詞がすごく良かったことに気づいたっす。とくに、エンドロールは泣けます。