涼宮ハルヒの憂鬱

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)


ブームが終わるころに手を出しました。確かに面白かった。
SF小説なのを読み始めてから知ったくらい、全然知らない状態で手を出したので、新鮮に楽しめた。次に手を出すべきは、小説の続刊なんだろーか、アニメなんだろーか。

読んでいた「イリヤの空、UFOの夏」が3冊目くらいで、展開がすごくシリアスになってきたので、軽そうなラノベに手を出したんだが、SOS団ってなんのことはない、薗原電波新聞部じゃないか。俺は、結局そこから離れられないのか。追い求めるモノ自体は割となんでもいいあたり、水前寺とハルヒは気が合いそうだな。

読み終わって、90年代のラノベ「それゆけ!宇宙戦艦ヤマモトヨーコ」の主人公、山本洋子は宇宙戦艦と出会わなければ、こんな感じのキャラクターになってたのかなー。と思った。いや、校内随一の美少女と描写される容姿とか、そのくせ学校の誰もが敬遠する言動、趣味のためなら周りの迷惑を顧みない性格付けも似ているうえに、作品世界のなかでの立ち位置まで似ているんだ。これでは、シリーズが途中で中断して、尻切れトンボ状態になってしまった山本洋子の事を思い出すのも仕方ないと思う。

ヨーコ=ハルヒという指摘をしてるブログは多いが、なにしろ、山本洋子は不確定性原理における究極観測者たりえた存在*1なわけで、そういう意味でも作品世界での立ち位置が同じキャラクターであったといえる。高校生活の退屈を紛らわせるために宇宙人や未来人や超能力者と遊ぶのは二人とも同じだが、日常生活の面で、洋子にとって幸いであり、ハルヒにとって不幸だったのは、洋子の過ごした90年代にはセガのゲームハードがあり、ハルヒの過ごす2000年代にはそれがなかったことであるといえるだろう。なにせ、同じようにエネルギーが有り余っていたのに、洋子は宇宙人で未来人でなおかつ異世界人な連中が自分にコンタクトを取ってくるまで、大人しく高校のゲーム研で京都のゲーム会社*2の悪口を言いながら、メガドライブダライアスとかやってたもんな。

「ヨーコ」が山本洋子の一人称+三人称という視点で進むのに対して、「ハルヒ」はキョンの目を通した『二人称小説』なのも大きな違いと言える。この結果、ハルヒは内面が隠蔽され、いわゆる普通の女の子としての内面が与えられているのに対して、洋子は内面もひたすら自分の趣味のことで埋め尽くされていた。まあ、主観者がそれぞれ自分の恋愛感情に対して嘘をつく(というか、とぼけてみせる)のが二つの作品の共通点かも。

小説としては、前半が面白くて、後半の落とし方はいまいち。
高校入学当初は毎日不機嫌だったハルヒが、主人公に触発されて、生き生きと暴走していく過程の一歩一歩と、そのなかでふと見せる素顔みたいな場面がよかった。この辺は、部員が四人しかいない文芸部でこっそり部誌を作っていた高校時代を思い出すので、おいらのような高年齢層が読んでも楽しめた。

後半は後半で、ラノベグレッグ・イーガン万物理論*3か宇宙消失*4みたいな展開になっていっって、これは自分が中高生だったらきっとすごく面白かったんだろうなあ、とは思うものの、前半の世界観でずっと続いて欲しかったので、少し残念。

*1:世界すべてを望むままに再構成できる

*2:京アニではありません。念のため。

*3:その理論によって世界全て現在から過去にさかのぼって発生させる女性科学者の話。

*4:訓練の結果、思うがままの世界を具現化できるようになる女の子の話。