行動原理 -イリヤの空、UFOの夏-

「お前、中学の時に男子に告白したことあるか?」
 就職するまでは、午前二時に異性の職場の先輩から、こういうことを聞かれるのは、もっと適切なシチェーションの下だと思っていた。少なくとも、二人並んでカップラーメンをすすりながらではないだろう。
「ずずっ。 ……ありますよ」
 だが、日本の社会人たるもの、いかなる状況でもそれなりの受け答えが必要なのだ。と、先坂絵里は現場配属になってから三年間の日々で学んでいた。社会人も普通に会話に飢えており、とくに極度の緊張感の元で長々と待機せざるを得ない状態では、ある程度意味のない会話をして緊張を緩和し、協調的な空気を作っておいた方が好ましい。
「どうだった?」
「えーと、確か最初は一年のときにサッカー部の斉藤くんに告白したんですが、その後全然音沙汰がなくって……二年になってからは、バスケ部の小林くんとブラスバンド部の山根くんと、それから教育実習できた先生にも告白しましたし、冬にいったスキーでは添乗員のお兄さんに……」
 あー、そのへんでいい。
 1.5倍、と書かれた具のほとんどないカップ麺を手にした榎本が、そう言って停めなければ、絵里の回想はその三倍は続いただろう。
「で、どれかうまくいったか?」
「あー、四人くらいとは、するところまで行きました。でも、何回やってもだめでしたね。なんか、アレって、あの頃は子供だったせいか、気持ちわるいばっかりで、全然よくなかったです」
 げほげほげほ。
 榎本がむせるのを、絵里は不思議そうに見てから、お茶を指さした。榎本はペットボトルのウーロン茶を気付けに飲み干す。
「子供の時にするキスって、あんまり気持ちよくないですよね?」
「……最初から、そう言え」


インプラント? それを、浅羽くんに植えたんですか?」
「虫と一緒にな」
 遠回りしたことに反省したのか、榎本はさっさと雑談の本題に入った。
 インプラント。オーストラリアの科学者が発明したナノ単位の超小型ロボットは、人間の脳内に進入して脳神経の結合状態を狙った方向に成長させたり、逆に傷つけることができる。
「中学生の恋愛感情ほど、アテにならんもんはない。特に男はダメだ。なぜなら、俺がダメだったからだ」
「あー、なんか、そういう話聞きました」
「まーな。あの頃は、何度か告白されたこともあるんだが、なんで女が俺に寄ってくるのか全然分からなかったし、俺としては別に穴があったら入れたいってだけで、女の子自体が好きな訳じゃなかった」
 絵里がカップ麺をたべおわって、たん、と置かなければ、もう少し榎本の演説が続いただろう。が、これで榎本は我に返って説明に戻った。
「中学生の恋愛感情なぞ、そんな曖昧なものに、人類の命運を委ねるわけにゃいかんのだ。だから、浅羽の恋愛感情自体を制御させてもらうことにしたってわけさ」
 浅羽には、このインプラントで常に伊里野の保護者になるよう脳神経の反応に矯正をかけている。これで、浅羽は伊里野を常に守らなければならない、という義務感を持つようになり、同時に単なる性欲の対象として見ることはなくなる。
「あのだらしねえガキは、いつも伊里野を探し求め、守るようになる」
「その、インプラントの命令で、ですか?」
「違うよ、あいつは、あいつ自身の脳でそう判断するんだ。まあ、きっかけはインプラントだが、その後の動きは全部あいつの脳内で完結している。浅羽は自分で、そう考え、自分でそう判断したと自覚しているし、それは全面的に正しい」
「……この話、知っているのは? 加奈ちゃんは、知らないんですよね」
「こっちじゃ、俺だけだ。伊里野にはキレイな恋愛の夢を見せてやりたい。もちろん、作戦全体では何人も知ってるが。椎名の奴には教えてない。あいつは、中学生同士の純愛だと思って盛り上がってたからな」
 榎本が精一杯の悪人笑いをしてみせた。
「浅羽は要領の悪いガキだが、あれで勘は良い。奴の身近にいる人間が不自然な対応をしてたら、そのうち気がつくだろう。俺はまあ、たまにしか姿を見せないつもりだから、なんとかなるだろうが、あいつは毎日会うかもしれないからな」
「外部から矯正された恋愛ですか」
「ナノマシーンだけどな」
 絵里は以前読んでいた漫画のことを思い出した、確かあのなかにも麻薬と催眠によって、強制的に信頼関係をすり込んだ少女がでてくるものがあった。実際に、「園原基地のUFO」について知ってしまった人間から特定の記憶を消したり、改変することは今でもやっていることで、榎本が言っていることは、全体としてはそんなに真実みのない話ではないと思う。
「副作用とかないんですか?」
「基本的には、浅羽の脳みそは虫を植えられる前も、後も変わってない。ちょっと外からの干渉をうけてるだけだ。そりゃ、インプラントを取り除けば、浅羽は元に戻るが、戻っても、それまでの記憶がなくなるわけじゃない。それも、浅羽が自分の頭で考えてることだからな。まあ、虫をとってしまえば、浅羽の思考は矯正されることはなくなるから、あいつは中学生らしい自然な感情を発露させることになるだろうが」
「そうですか……」


「うそうそ、全部嘘だよ」
「え?」
「あのなあ、そんな便利な物、本当にあるわけないだろ?」
 そう言って、榎本は苦笑いした。だいたい、人間の行動原理を規定できる薬物だったら、最初にイリヤに使うだろう。どう考えても。俺が、こんなものがあったら便利だな、と思って思いつきを話しただけだよ。
「あいつが、最初から世界人類のことを何よりも大切だと思ってくれてるなら、俺たちはこんな七面倒くさいことをしないで済むんだから」
「今さら、加奈ちゃんに新しい薬物を投与するのは危険すぎますよ」
 絵里の口調が本気だったせいか、榎本はさらにあわててこう付け加えた。
「じゃあ、その大事な薬を浅羽に投与するしかない、としよう。なんで『保護者』なんだ? 伊里野はアレでアメリカ育ちだし、意外と『わたし、この世界に生まれてきた証しが欲しいの』みたいな……」
「それ、なんてエロゲですか? だいたい、加奈ちゃんはアメリカでも基地から外にでてないし、恋愛については明らかに初心者です。それに、加奈ちゃんに性行為をさせるのは精神的にも肉体的にも危険です」
 しなまで作って声色をつくってみせたのに、白い目でみられたせいか、榎本は少し声を大きくして否定してみせた。
「あー、じゃあ、最後の証明だ。俺があいつから『好きな人ができた』と言われたのは、浅羽に虫を入れた後だ」
 先坂が、ばしばしと大きく瞬きをした。正直、眠いのだ。
「だから、俺には浅羽に対してそんな手の込んだことをする理由がない。以上、証明終わり!」
 そして、午前三時にカップラーメンを食べ終えた榎本は、大股に給湯室へ歩き去っていった。園原基地では『地球環境保全のため』残ったスープは、給湯室の三角コーナーに捨てるルールになっているのだった。


 先坂絵里がこの話を思い出すのは、それから一ヶ月ほど後のことだった。