または私は如何にして心配するのを止めて『萌え』を愛するようになったか

長ったらしい上に内容も別物なので、別エントリ化。

85年。SFからファンタジーへの転換点

80年代末にファンタジーブームがやってきたのは、それ以前にあったSFブームの反動でしょう。70年代後半から80年代初頭にかけて、スターウォーズ(77〜83)、ガンダム(78〜79)、ヤマト(77〜)、999(78〜81)、ET(82)と、宇宙ものSFの一大ブームがありました。スペースインベーダーも78年です。……とはいえ、この辺は書き手の私も物心はなかったので知識でしか知りません。*1

しかし、このSFブームは80年代中盤からしぼんでいきました。これは、現実の宇宙開発が進展しないどころか、冷戦での東西関係が再び悪化したことで、スターウォーズ計画(83〜)が実際に計画され、チャレンジャー号の事故(86)など悲惨な事故が起きたのに対して、ベトちゃん=ドクちゃんの来日(1986)、地球温暖化説の浸透(88〜)、オゾンホールの発見(86)などの事件が相次ぎました。それまで、せいぜい放射能汚染と水質汚染くらいしか頭の中になかったのに、そうした直接的な毒がなくても、今この瞬間も自然の破壊が進んでいることを見せつけられたことによって、科学技術に対する失望が広がっていったのだと思います。
こうした自然破壊に対する反応はフィクションにも現れ、84年の「ナウシカ」、86年に公開された映画「天空の城ラピュタ」のテーマも「科学から自然への回帰」でありましたし、Zガンダム(87)でのシャアの演説にも「砂漠化」「地球環境の悪化」といったキーワードが現れてきます。
地球環境保護はブームになり、例えばエコマークが制定されたり(89)、ガイア仮説が表明されたりするわけです。

一方、1985年、映画「ネバーエンディング・ストーリー」が公開されます。
これは、最近でいうところの「ロード・オブ・リング」のように大ヒットし、ファンタジー映画が何作か続けて公開され(「コナン2」「レディ・ホーク」「ウィロー」「ラビリンス」とかですねん)、日本でも剣と魔法の世界が受け入れられる下地が作られてきました。そのあたりで、ザナドゥ(85)とかドラクエ1(86)の発売と続くわけです。

私は、砂漠化や酸性雨やオゾンホールの存在を知った人々の、現在進行形で失いつつある、広々とした草原や、美しい海、澄み切った夜空、というものへの憧れが、ファンタジーブームの切っ掛けになったのではないか、と思います。
当時、日本で3Dダンジョン形式のRPGが、システム面ではるかに完成されているのにもかかわらず、2Dのドラクエほどの人気を博さないことに、多くの人が疑問を持っていましたが、それは単なる緑色にすぎない『草原』や『森』や『海』が見えるか見えないか、の違いだったのではないでしょうか。

95年。ファンタジーから萌えとノスタルジー

それから十年が経ちました。
バブル崩壊から続く長い不況で徐々に先行きへの不安が増してきたところに、95年に起きた地下鉄サリン事件など、一連のオウム真理教関係の事件によって、今度は科学文明から遠ざかって精神的な世界へ傾倒することへ、人々は強くの危機感を感じるようになりました。さらに97年には関西大震災が起こり、幻想の土台となっている現実世界が盤石なものでないという意識へと変わってきました。

ブームとしてのファンタジーも行き詰まっており、剣と魔法のファンタジーはマンネリ化し、銃と魔法、的なガジェットとの結合が盛んに行われるようになりました。が、結局それもファンタジーに漂う閉塞感を打破するには至りませんでした。
RPGというゲームジャンルも粗製濫造されたこともあって、急激に魅力を失っていきました。ゲームの大勢はバーチャファイター・鉄拳などの格闘ゲームバイオハザードのような3D視点のアクションゲーム、ウイニングイレブンのようなスポーツゲームへと移っていきます。
RPGに物語を求めた人々の行く先は、すでに「ノベルゲーム」にしかありませんでした。

そして、エヴァンゲリオンの挫折(97)。商業的に成功し、幾多のフォロワーを生みながらも、自身は壮大なフィクションを閉じることができませんでした。もののけ姫(97)もまた、神話の世界の終わりを書いた「ファンタジーを閉じる」物語でした。なお、エヴァが閉じ損ねた物語は、「少女革命ウテナ(97)」で、一組のカップルの、あるいは男と女の、関係性の物語として閉じられていきます。

一方、2000年にやってきたのは、「明日があるさ」から始まったリバイバルブームでした。
2001年には9.11事件が起こり、気がつけば不況どころかニートワーキングプアで、ホワイトカラーエクゼプションな世界になってしまっていたのですが、その殺伐とした世界から逃れようとして、科学に支えられた未来にも、剣と魔法の幻想にも浸れなくなった人々が行き着いたのは、過去へのノスタルジーでした。かつてあった平和で未来に夢を持つことができた世界に浸ることで、あくまで現実から乖離することなく癒されることができるのです。

しかし、二十歳そこそこの人間に、そんなに遠いノスタルジーに浸ることはできません。そこで私たちが振り返ったのが、高校時代や中学時代でした。そこには、ニートにもワーキングプアにもならず、無体な長時間労働にも、ホワイトカラーエクゼプションにも怯えないで済む世界があるからです。


こうして、私たちは、現実の科学の進歩にも、環境問題の進展にも興味を失い、目の前の現実の問題について心配するのを止めて、『萌え』を愛するようになりました。めでたしめでたし。


このエントリーはフィクションであり、実在する人物、団体、事件その他の固有名詞や現象などとは何の関係もありません。嘘っぱちです。どっか本当っぽくみえてもそれはたまたま偶然です。他人のそら似です。あ、年号は本当です。フリー百科事典Wikipediaをよろしく! じゃんじゃん参照しに行ってあげましょう。え? もう一回書くの? このエントリーはフィクションであり、実在する人物、団体……。ねえ、何でこんなこと、何度も書かないといけないの? 書かれた物語がフィクションなのは、当たり前じゃないの。

*1:ちなみに、このころデビューしたのがラノベ作家の元祖、氷室冴子(77:『さようならアルルカン』)、新井素子(78:『あたしの中の……』)、火浦功(82:『高飛びレイク』)です。