90年代ラノベの歴史(スタブ)
あと、五年くらいしたら、「懐かしい90年代」のマンガとか出てくるのかな。やだな。
個人の体験談なので偏ってます。もともとは、よそのサイトで「いつ、ファンタジーから学園ものにラノベの主流が移ったのか」というコメントを書いたのがきっかけなので、その観点が強いです。
ちなみに、おいらのスペックは1991年に中学校に入学し、2001年に大学を出て就職した世代です。小学校のころから火浦功や新井素子を読み、中高生時代は年に100冊ぐらいラノベを読んでました。
90年代ラノベ概略
前史
まず、80年代の末時点で『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』まで、富野由悠季によってスニーカー文庫で出てました。
88年にゲーム『ドラクエ3』がでて、ゲームブック版のドラクエⅢも89年までにエニックスから出版されていました。この86年から90年のころは、ちょっとしたゲームブックブームで、双葉社のファミコン冒険ゲームブックの大量刊行、大人向けには創元文庫からのドルアーガ、ワルキューレが87年くらいまでに刊行されてました。
『ドラクエ』は小説も出ており、89年の時点で『2』まで、90年には『3』が小説化されてエニックスから出版されていました。『MOTHER(89年)』のノベライズの成功で抜擢された、久美沙織が担当した4以降はぐっとラノベテイストに寄っていきますが、1〜3はラノベと呼ぶには結構文章が硬く、正統ファンタジーを狙っていた気がします。
なお、ソード・ワールドRPGルールブックが89年に刊行。リプレイ第1部も88年に始まっています。この時期、メジャーになりつつあったのは、『ロードス島戦記』で、小説は4まで、『ロードス島戦記 コンパニオン』もすでに出てました。
日本ファンタジーノベル大賞が1989年に始まって、酒見賢一、鈴木光司などがデビューしました。この辺りは正統ファンタジーで、その後の作品もラノベにはあまり流れませんでしたが、『星虫(89)』の岩本隆雄はラノベ作家といって良かったと思います。他にも恩田陸、小野不由美、北野勇作などを輩出しました。
90年〜91年 ファンタジー市場拡大
ゲームブックの最高傑作こと『送り雛は瑠璃色の』が90年にでてますが、ゲームブックはだんだんと終息していきます。『ドラクエ4』と『FF3』が発売され、91年にはスーパーファミコンがでて、テレビゲームがストーリー性を強く持つようになったのと、ライトノベルとしてゲームっぽい中高生向け「小説」がでるようになったからかな? と推測。
広井王子のグランゾート、ワタルの小説が90年にスニーカー文庫でて、このあとあかほりさとるが無茶な文体でスニーカー文庫にデビューするのに繋がります。前に富野由悠季によるガンダム小説があるとはいえ、中高生を対象にした文体の軽いアニメ小説のはしりです。また、ダンバインからきた異世界ものを、「ワタル」がうまくアレンジしたこともその後の異世界ものの流れの発端となったと思います。
伝説のNG90『蓬莱学園の冒険!』が行われます。が、ファンタジー全盛時代で、学園ものの火はあまり大きくなりませんでした。
それまで、アニメ→ラノベという流れはありましたが、逆にOVA『ロードス』が作成され、ラノベ発のメディアミックスの魁となりました。
92〜93年 ファンタジー全盛時代
93年に『ロードス島戦記』は一端完結しますが、作家が出そろってきて、ファンタジー系ライトノベルの全盛時代でした。
前からファンタジーを書いてきた人(ひかわ玲子、竹河聖、嵩峰龍二など)とTRPGの人たち(水野良、山本弘、友野詳など、遅れて鈴木銀一郎、伏見健二)がファンタジーを書き、新人(神坂一、秋田禎信、冴木忍、深沢美潮、中村うさぎなど)もファンタジーを書く、という時代でした。
一方で、TRPG人口の増加が底上げしたのか、ネットゲームもと盛り上がっており、富士見ファンタジアから新城カズマ、野尻抱介がデビューしました。
世間ではセーラームーンが流行っており、アニメは売れる、という判断があったのか?、ラノベのアニメ化が続きました。TVで『タイラー』とか『スレイヤーズ』など、色々試行錯誤はありましたが、アニメ化・メディアミックスとしてでました。
ただ、そのあとに大きな転換点があるわけであります。
角川スニーカー文庫と電撃文庫
93年に角川のお家騒動で両文庫が分裂。
角川の主力作家が軒並み電撃文庫に移籍し、角川スニーカー文庫は急速にその求心力を失う。電撃文庫も初動はぎこちなく、しばらく富士見ファンタジア文庫がラノベの中心に。
といいつつ、ラノベ雑誌『ザ・スニーカー』が創刊されます。角川に残った火浦功、あかほりさとる、友野詳などが主力でしたが、火浦先生はいつもの通り連載を落とし、初期は非常に力弱い物でした。
95年〜96年の転換点
94年にプレイステーション、セガサターンが発売され、ゲーム機の次世代機戦争が勃発します。それまでもPCエンジンとかメガドライブがありましたが、これでCDROM機が津々浦々に普及し、「ゲーム←アニメ←ラノベ」というメディアミックスの経路が揃った時期でもあります。
『エヴァ』TV放映が終わった95、96年が、やはりラノベのファンタジー全盛時代から学園ものへのターニングポイントだった気がします。
角川スニーカー文庫と電撃文庫が93年に別れて、しばらくは両方ともファンタジーばっかり出してたんですが、95年に電撃文庫から『タイムリープ』が出ました。逆に『ロードス島戦記(〜93)』の後継だった『クリスタニア』は盛り上がらず、『スレイヤーズ』は真ん中のクライマックス(冥王フィブリゾ編)を終えて力を失っていった頃でした。95年は当時富士見ファンタジアの代表的な作家だった冴木忍の『卵王子カイルロッドの苦難』が終わって、山本弘『サーラの冒険』が十年中断してしまった年でもあります。マニアなソードワールドファンに人気があった清松みゆきの『混沌の夜明け』も95年完結です。
「ときめきメモリアル」がプレイステーション版で出たのが95年、「雫」が96年です。
この時期、地下鉄サリン事件が起こり、これも幻想に浸ってたオタク世界を揺るがした事件でありました。
このころ、Windows95が発売されてPCが安価になってきました。中学のころ、パソコンが30万円ぐらいしたのは、今思うと嘘のようです。ただ、インターネットの普及はもう少し先です。
97年〜98年
その後もしばらくは『オーフェン』などファンタジーも頑張っていたんですが、96年の後半くらいからマジック・ザ・ギャザリングの儲けのせいか、老舗の「RPGマガジン」始め、各社がそれぞれトレーディングカードゲームに比重を掛けるようになったせいか、TRPGのブームが傾き始めました。私がTRPGから離れたのはこの辺りの時代です。90年代後半にノベルゲーム『ToHeart(97)』がすごい勢いで流行り、マンガでは『ラブひな(98)』が始まって、ラノベ『ブギーポップ (98)』のブームが始まり『あずまんが大王(99)』『バトル・ロワイアル(99)』、と世間は学園もの一色になっていった気がします。あと、ひそかに98年には「マリア様がみてる」が始まってました。
『ブギーポップ』の批評で、「ヤングアダルト向けの小説のキャラクターには、従来内面というものが無かったが、この作品の登場人物には内面が存在する」的な、誉めているのかどうか微妙な批評がされたのがこの頃だったような。個人的な印象では、このあたりの延長線上に現代があり、これ以降大きなパラダイムシフトはなかったような気がします。
インターネットの普及が進んできて、とくに『エヴァンゲリオン劇場版』について、膨大な量の二次創作小説がネット上にありました。その書き手のなかには、本田透氏のように見事にラノベ作家になったり、評論家になった方々もおられます。大学時代に本田透氏の二次創作を大学の電算室で読んだり、同人誌買ったりしたのは良い思い出です。というか、今でも家にあります。
『スレイヤーズ』の後継作品だった『ロスト・ユニバース』のアニメ版の出来が非常にアレで、神坂一ファンの多くが絶望のあまり去っていってしまいました。というのは大げさですが、ファンタジアからのアニメ化はこのころから減ってきた気がします。ああ、元遊演体の賀東招二がこの頃からファンタジア文庫を背負って立つ人材に育つんでした。
98年末にセガ最後のハード、ドリームキャストがでますが、プレステ2のハッタリによって苦戦します。逆に『ブレンパワード』でファンタジー全盛だった93〜94年ごろから永年落ち込んでいた富野由悠季が復調し始めたのがこの頃であります。