DQⅠ→Ⅱ・前編

戦後のアレフガルド商人たちの対立


ロトの子孫は、竜王の乱を平定した功績によって、傭兵隊長の身から、ラルス王家軍の総司令官に任命される。同時に、貴族に取り立てられ、ラルス16世の廷臣となった。
ロトの子孫は、さらに、ローラ姫との婚約を何度となく国王へ願い出たが、ロトの子孫が王位をねらっていると疑う国王はこれを許さず、逆にロトの子孫へ強い猜疑心を向けることとなった。


ラルス王家の軍は、戦争の終結とともに大部分が解散したため、総司令官といっても名誉職的な色合いが濃かったが、長い戦争を終わらせた彼には民衆から絶大な人気が寄せられていた。


アレフガルド商人たちは戦時中にルプガナベラヌールを中心とした交易網から離れざるを得なかったため、逆に独自の交易網を発達させており、まだ層が薄いながらもブルジョワ階級を構成していた。ただし、戦争が終わったことで、ふたたびアレフガルドの商業に巨大な資金力を持つルプガナ商人たちが加わろうとしていた。
ここで、国内商人によるアレフガルド経済の寡占維持による重商主義を唱えたのが、当時の財務総監とラダトームの商人たちであり、東の大陸への交易路を確立することでルプガナとは別の商業圏を作ろうと唱えたのがメルキドリムルダールの商人たちだった。
商人たちは、ロトの子孫とラルス王家の関係が悪化するに従い、前者はラルス王と官僚たちを、後者はロトの子孫を支持した。

灯台の建設とアレフガルド東航路の完成


メルキドリムルダール商人たちは、東の大陸への航路を築くために、アレフガルドの南方の島に巨大な灯台を建設した。
この建築物はルプガナ商人たちが建設した灯台である「ドラゴンの角」とは比較にならないほど巨大だったため、正式な呼び名と別に「大灯台」と呼び習わされることになる。


この島および、海路にはモンスターが出没したため、ロトの子孫が軍勢を率いてメルキドから島へ渡る船団を守護した。彼はアレフガルド本土で戦役がなかったこともあり、灯台建設に積極的に協力し、灯台の完成時にはこれを祝して灯台に星の形の印章を残した。


灯台の完成により、メルキドから大灯台を経由して東の大陸へ渡る航路が完成し、商人たちが東の大陸へ新しい街「ムーンペタ」を築くと、ロトの子孫は海路の無事を祈って水の印章を船団へと託した。
やがてメルキドおよびリムルダールの商人たちは大部分がムーンペタとその後建設されるリリザへ移ると、かえってアレフガルド本土の都市時代は縮小した。

ローレシア植民地の誕生


灯台が完成して、アレフガルドへ戻ったロトの子孫は、即座にラルス16世に謁見し、アレフガルド軍の総司令官の職を辞し、自身が開拓者として国外へ出ることを申し出た。


自分が治める国は、自分で見つけたい。
というのは、ロトの子孫にアレフガルド簒奪の野心があるという考えに囚われ、ラダトーム商人と財務総監の操り人形と化していたラルス16世への痛烈な皮肉であったが、そうした意図がラルス16世に通じたかは不明である。


ともあれ、もとは軍の総司令官だったロトの子孫が出国するにあたり、彼はアレフガルドの正式な開拓使とされた。
ムーンペタが建設された大陸のさらに東方に、もう一つ大陸が存在することは早くから知られていたが、この土地にはまだベラヌールルプガナの勢力も、メルキドリムルダールの勢力も及んでおあらず、ラダトームの商人たちが進出するには適当な土地と考えられた。
当初、ロトの子孫は自分が築いた大灯台を経由するルートを考えていたが、政府の正使とされてしまったため、このルートは通れず、ルプガナを経由した西回り航路をとることを計画した。


ロトの子孫が軍を辞し、アレフガルド国内でのほぼすべての権力を喪失したため、ラルス16世はようやく安堵してローラ姫とロトの子孫の結婚を認めた。
ちょうどこのころラルス16世の皇太子に子供が誕生し、ローラ姫の王位継承権が極めて低くなったことも理由となった。


こうしてロトの子孫とローラ姫の船団は、ラダトームからルプガナを経由して、東の大陸へと渡った。
彼らはこの地に上陸して、アレフガルドの植民地とし、ローラ姫の名前にちなんでこの大地をローレシアと命名した。