なぜ、「鋼鉄の少女たち」を読むと憂鬱になるのか


なぜ、読後感がこんなに鬱なのか、少し考えてみた。
受けた印象を、一日考えてみて、「水木しげるの戦争漫画に似てるんだ!」と、思った。

諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が大好きだ

矛で突くのが好きだ。矛で突かれるのが好きだ。
盾で防ぐのが好きだ。盾で防がれるのが好きだ。

以下略
「「矛盾」を無理矢理弁護 死の商人編 を元に微調整http://www.faireal.net/articles/9/13/


戦争物として、例えば「銀河英雄伝説」などでは、留保がつく場合もあるが、
主要な登場人物たちはそれぞれ戦うことが「正しい・必要な」ことだと考えている。
漫画「BASARA」のように「新しい国を築くため戦う!」のもこの類だと思う。
ジャンヌダルク」だって、「義経」だって「ドラゴンボール」だってこのパターンだ。
主人公は「戦うことは正しい」と思っているので、
下手すると脳天気な「パールハーバー」になりかねないが、
主人公に感情移入しても憂鬱になる度合いは少ない。

赤城 蒼龍 飛龍 加賀……
昭和は17 月は6
空母は「赤城」 戦艦「榛名」
ミッドウェーの青い海
たった一言 「いってきます」
表向きは国のため、ほんとの心は君のため
川原泉 かぼちゃ計画」


次に自分のグループが主張している「正義」を信じてはいないが、
自分の大切なものを守るため、戦争せざるを得ないパターンがある。
ちばてつや紫電改のタカ」などはこれだ。解説読んだだけだけど。
ポケットの中の戦争」のクリスとか、上田信舟の漫画「DAWN」とかか。
キングゲイナー」も「エクソダス」には反対だが、みんなを守るために戦う、
という初期のコンセプトはこれだと思うが……
同人空戦ゲーム「The Wing of Bluff」の東京大空襲では、
眼下で燃え上がる町並みを見ていると必死で戦わざるをえない。
主人公に感情移入した時には複雑な思いになるが、
それでも戦う理由付けはされるため、安心感はある。


この作品の少女兵たちは余剰人口として無理矢理戦争にかり出されているわけで、
「悪の独裁者を倒せ!」とか「守りたい人を守るため!」戦っている訳ではない。
敵と戦うのは、それが仕事だからであり、生まれた場所に戻るべき故郷もない。

「なぜ、あなたはこうも戦えるの? 
 あなたには、守るべき人も守るべきものもないというのに。
 私には見える。
 あなたの中には家族も、ふるさともないというのに」
機動戦士ガンダムⅢ」


国は彼女たちの守るべき対象ではなく、主義主張があって戦う訳でもない。
ようするに、主人公たちが依って立つのは「自分が生き残るため」、
そして「自分の仲間を守るため」くらいしかない。
だが、「軍人は人間を効率的に殺すのが使命」とばかり、局地的勝利のためなら
部下たちの出血を厭わない指揮官どのが主人公なので、ばたばたと仲間が死んでいく。
かくして、「仲間と生き残る」ことしか戦う目的がないのに、
「戦うと仲間が死んでいく」という負のどうどうめぐりが発生する。
それで、感情移入して読んでいくと、
自分の依って立つ理由が次々となくなっていくような感想を受ける。

「違うのは、制服だけじゃない。エゥーゴは絶対にこんな事は!」
ZガンダムⅡ 恋人たち」


せめて、自分の仲間が善悪の問題で敵より少しはマシであれば、
そんな状態でも精神衛生上はマシなのだが、
ここでは、「自分の仲間」が「敵」より善の成分を多く含んでいるか、
というと、正直そういうわけでもない。
絵柄として、少年少女VS大人たちだと、大人たちが悪いように見えるが、
そもそも少年少女が戦争やらないといけない辺りから正常な国ではないし、
情報将校は仲間を背後から撃つし、化学兵器も使ってしまったし。