線路の上の二人の女

1.2030年の夏祭り
2.線路の上の二人の女
3.November Rain
4.伊里野の冬 <その1>
5.伊里野の冬 <その2>
6.伊里野の冬 <その3>


 鬱蒼とした森の中を一本の線路がどこまでも続いていた。
 線路の上を二人の少女が黙々と自転車(注・二輪車。動力を持たないものだけを指す)を押していた。線路は廃線になって久しいらしく、枕木は所々腐ってなくなっていた。
「浅羽が急ぐからだよ」
 憮然とした表情の少女に、もう一人が話しかけた。二人とも十代前半。憮然とした表情の方の少女は短い黒髪で、太い眉を持つ顔は精悍だった。白いTシャツを着ていて、背中には大きめのナップザックを背負っている。右腿には家から持ち出した肥後の守と十徳ナイフを下げている。
 その少女、浅羽夏奈は憮然とした表情のまま言った。
「自転車は、人が乗るものよ」
「浅羽、痣が残らないといいね」
 もう一人の答えに、夏奈の表情はいっそう険しくなった。
「なんで、伊里野は乗れないのに自転車を持ってるのよ」
 伊里野と呼ばれた連れの少女は全身義体(注・義体化とは体の一部を生体部品に置き換えること。全身義体の場合は自我以外の全てを機械化すること)だった。髪留めで結った長い黒髪は腰くらいまであり、どことなくぎこちない表情をしていた。
「乗れないから、これで練習しようと思って……」
「もう少し上手くなってから練習しなさい」
 高そうなマウンテンバイクを持って集合場所に現れておいて、伊里野は自転車で五メートル進むこともできなかった。伊里野は物心ついた時から全身義体のはずだが、その割に体を動かすのにも表情を作るのにも慣れていない。だからといって、まさか中2にもなって自転車にも乗れないとは夏奈も思わなかった。


 2030年の10月も後半になって、突然浅羽夏奈はこの「探検」を言い出した。誰に似たのか、隔世遺伝なのか、夏奈は時々病気を発症させる。何かロマンあふれるテーマにかぶれると、回りの人間……多くの場合は所属する園原中学校新聞部を巻き込んで、とことん暴れ回るのだ。
 そして、今回のテーマは「探検」だった。
 二十年以上前に廃棄された軍用列車の走っていた線路の上をたどって、隣町までいくのだ!。自分がさる筋……これは機密事項だが、旧自衛軍の人間が頻繁に出入りしていた中華料理屋の店主の従兄弟の子供から聞いた話では、路線の先には第三次核大戦の時に遺棄された旧自衛軍の基地があるはずなのだ!。我々はそこを探検し、これまで謎に包まれていた第三次核大戦の真実を明らかにするのだ!。それが、真実とスクープを追い求める園原中学新聞部の使命なのだ!
 そう夏奈が演説して振り返ると、さっきまで部員であふれていた部室に、たった一人、取り残されたようにちょこんと座って弁当を食べていたのが、伊里野真奈だった。


 何か線路の上で機械が動いているのを見つけたのは、伊里野だった。
「なにか、いるね」
「蜘蛛、ゲジゲジ、たらば蟹」
 六本足の機械が、赤錆びたレールを取り外し、腐った枕木を取り外していた。鉄道会社が起き残した自走式の思考機械のようだった。二人が近寄っても、機械は動きを止めようとはしなかった。レールを外し、道ばたへと放り投げる。枕木をかき集めて……
「あー、ちょっとごめんなさい」
 伊里野が音もなく多足機械へ近寄ると、自分の首の後ろからつないだケーブルの先の電極を機械の頭部へためらいなく突き立てた。一瞬、がくん、と大きく動いたあとで、機械は動きを止める。そのまま、六本足の蜘蛛はがくがく、がく、と小さく痙攣しつづける。
 その姿を、夏奈は驚きながら見ている。
 校則で、怪我や病気の治療以外での義体化を禁じられているため、夏奈はまだ全く義体化を行っていなかった。たまにネットに潜る時はあるものの、伊里野のようなジャックインソケット(注・脊髄に直結したソケット。首の後ろに接続端子がある)を見るのは珍しいことだった。
「……この機械、軍隊からの命令で動いてる」
 伊里野が焦点の合わない目をして言った。
「いまから、二十年前に旧軍はこの路線の破壊を命じた。だから『彼』はひたすら線路を破壊している」
「じゃあ、この先はずっと?」
 結線を外して、伊里野は言った。
「……良かったね。自転車で走れるよ」


 夜、家から持ちだしたテントを張るのに二時間掛かった。
「で、浅羽はどうして、探検することにしたの?」
 伊里野はこういうとき、容赦がなかった。質問の答えがでるまで、まっすぐ見つめてきて、絶対に顔を逸らしたりはしないのだ。だから、夏奈としては答えるしかなかった。
「ひいおばあちゃんが、死んだんだ」


 夏奈は自分の身の回りの人間が死んだことがなかった。曾祖父は物心がついた時にはすでにいなかったし、小学校の時に起きた第四次非核大戦は彼女にとって、どこか遠い国で起きた戦争だった。だから、漠然と自分の人生で「死」というものに直面するのは、もう少し先のことだと思っていた。
 だから、子供の頃よく遊びに行った曾祖母が死んだことに驚いた。


「むかし、お父さんはこの道を通って、ひとりでひいおばあちゃんの家まで行ったんだって」
「ひとりで?」
「うん、お母さんが、そんなことを話してくれた」


 それまで「死」ということを知識でしか知らなかった夏奈は混乱した。
「人が死んだら、すごく悲しいんだと思ってた」
「悲しくなかったの?」
「悲しかったよ、泣いたし。でも、それだけだった」
 しばらく泣いて閉じこもって、でもそのうちお腹が減って、御飯をたべて、少し笑って、眠って、お風呂に入って。
「そのうち、普通に生活するようになっちゃった。
 ひいおばあちゃんが居ないことに、慣れちゃったんだ」
 私は、昔、自分の父親が歩いた道を歩いて、死んだ曾祖母に会おうとしているのかもしれない。

「それは、普通のこと。人は、どんな大切な人のことも、いつか忘れてしまう」
 伊里野は夏奈が話し終わっても、目をそらさなかった。この「探検」の間、自分は伊里野の保護者になるつもりだった。でも、どうやらこの子は自分よりずっと大人で、ずっと強いんだ。夏奈は少し敗北感を感じつつ、「寝るよ」と一言、ランタンを消した。


 そのあと伊里野が語った探検につきあう理由を、夏奈は寝ながら聞いた。


 二日目。
「今日は持つよ」
「ありがと」
 夏奈は、伊里野から荷物を受け取った。
「ほら、椎名が来てるよ」
 椎名に気がついたのは、夏奈が先立った。


 伊里野は物に妙な人名を付けるのが好きだった。いつも使っている髪留めは「エリカ」、筆箱は「シバタ」、携帯電話は「先坂」。シャーペンは「かっきー」で消しゴムは「花村」。それどころか、部室のドアの横に張ってある部員の出欠表や、部室自体、部室のドアに至まで、名前を付けていることに、夏奈は気がついていたが、そこまで伊里野の世界に踏み込む気はしていなかった。
 いつも鼻をかんでる白地のハンカチを「あさば」と呼んでることに気がついたからだ。よりにもよって、友達の名前をハンカチに付けることはないだろう。せめて生物がよかった。
「あんた、赤毛のアンが好きだったでしょ」
「なに、それ?」
「伊里野みたいに、なんでもかんでも名前を付ける女の話」
「お話は、あまり読んだこと無い。おいで、椎名」
 伊里野に呼ばれた椎名が、喜び勇んで勢いを付けてジャンプすると伊里野の細い腰から背中を這い上がって、肩のところでごろにゃんと鳴いた。「椎名」は白猫だ。伊里野に言わせると、椎名と付けたのは「白いから」だそうだ。釈然としないが、同時期に伊里野になついた虎猫を「榎本」と名付けた理由は、いくら聞いても要領を得なかったから、最近では夏奈はあまり気にしないようにしている。


 レールのはがされた道で、十五分間に伊里野は三回こけた。もちろん伊里野は鼻も義体なのだが、二つの鼻の穴から見事に鼻血を流す伊里野に夏奈はかなり感動した。とはいえ、さすがにこのままでは行程が進まないことに気がついた。
「自転車、教えようか?」
 一言声をかけると、伊里野は嬉しそうに寄ってきた。どっちが猫だか、よくわからない。
 夏奈が自転車の乗り方を教えると、伊里野の運転能力はぐんぐんと上達した。どうやら、伊里野は運動神経が悪いわけではないようだ。単に、自分の経験が不足しているため、うまく手足を動かせないだけみたいだった。


「ところで、どうして虎猫が榎本なの?」
「ずっと昔に、夢に出てきたから」
 なぜ、そんな話題になったんだろう?
「自分が死ぬ夢」
 その夜。ランタンの小さな明かりの下で、伊里野はそう言った。
 雲のなかなのか、霧に囲まれているのか、ミルクのように真っ白で、何も見えない世界に居たのを覚えている。そこを、一歩一歩、踏みしめていく。一歩進むごとに、ぎゅ、ぎゅ、と音がした。新雪を踏むような、小麦粉のような。


「どこで、榎本はでてくるの?」
「もうすぐ」


 そのうち、大きな河に出た。河の上だけは空気が澄んでいて、ずっと向こうまで見えるんだ。私は、そこの河の中に、じゃぶ、じゃぶ、じゃぶと入っていく。そこは、とてもとても暖かくて、とても気持ちいいんだ。水がそのうち、私の胸のあたりまであがってきた。それでも、私は、そのまま歩いていこうとした。
「おい、伊里野」
 そのとき、榎本が向こう岸から手を振っていた。
「水に入ったら、いけないったら」


「……伊里野、宮沢賢治好き?」
「なんのこと?」
「いや、そういう謎の一言で終わる短編があるの」


 私は驚いた。榎本は、後ろにいると思っていた。初めて後ろを振り返った。大勢の人が、私の後ろから着いてきていた事に、初めてきがついた。立ち止まった私を追い抜いて、大人たちも子供たちも、どんどん向こう岸へ渡っていく。やっぱり先を急がないと、そう思って私はもう一度対岸に体を向けた。でも、やっぱり私より先に榎本は向こう岸に渡っていて、こっちに来るなと大きく手を振っていた。私はすごく混乱した。榎本はいつも笑っていたような気がするけど、あんなにほっとした表情の榎本は初めてみた。だから、私はそれ以上足を前に進められなくっなって……


「気がついたら、義体化されてた」
「それって、臨死体験?」
 伊里野はわからない、と答えたが、そう思っているのは間違いないと夏奈は確信していた。そして、結局の所、榎本が誰なのかは分からなかった。


 三日目。
 二人は、封鎖されたトンネルの前に立っていた。
「この辺でいいかな?」
「うん」
 そして、二人は同時にスコップを振り上げた。


 一時間後。


 小さな固まりを、伊里野はナップザックから取り出した。
 その姿をみて伊里野の足下で、椎名がにゃあにゃあにゃあと騒ぐ。
「あー、うるさい。もうそれは、あんたの連れ合いじゃないんだよ」
 夏奈はそう言って、容赦なくスコップを勢いよく、ぐさりと地面に突き刺した。椎名がおびえたように伊里野の足にすり付く。
「じゃあね、榎本。また、そのうち会おうね」
 伊里野はそう言って、冷たくなった小さな老猫を、二人で掘った墓穴の底へ丁寧に置いた。


 帰り道に、泥だらけの二人は国道沿いのファミレスで、ナン・カレーセットを食べた。
 夏奈は、伊里野の夢に出てきた榎本のことは三日で忘れたが、伊里野の派手な食べっぷりだけはいつまでも記憶に残った。季節は秋になろうとしていた。

1.2030年の夏祭り
2.線路の上の二人の女
3.November Rain
4.伊里野の冬 <その1>
5.伊里野の冬 <その2>
6.伊里野の冬 <その3>