November Rain

1.2030年の夏祭り
2.線路の上の二人の女
3.November Rain
4.伊里野の冬 <その1>
5.伊里野の冬 <その2>
6.伊里野の冬 <その3>


ベントラー! ベントラー!」
「UFO、来ないね」
ベントラー! ベントラー!」
「ねえ、浅羽。なんで、2回ずつなの?」
 全身義体(注・義体化とは体の一部を生体部品に置き換えること。全身義体の場合は自我以外の全てを機械化すること)の伊里野真奈の言葉に、浅羽夏奈はさっきから握りしめていた分厚いハードカバー本を、イエローカードのようにたかだかを掲げてみせた。
「いい、伊里野。この本には、UFOを呼ぶにはベントラー、ベントラー、と言いながら円陣を組んでぐるぐる回るように、と書いてあるのよ。ここに、2回繰り返しで書いてあるってことは、2回繰り返したほうがいいわけでしょう?」
「ねえ、浅羽」
 伊里野は、心底疑問に思っているように言った。
「二人で向き合ってても、円陣っていうのかな?」
「気分の問題よ! 気分の!」
 だだっぴろい真夜中の校庭には、二人の他には誰もいない。もう一週間も雨が降っていないので、乾燥しきった校庭は砂埃が吹き荒れていた。向き合って話す二人の声が徐々に大きくなるのは、たぶん寒さだけでなく、気まずさも一緒に吹き飛ばすためだ。
ベントラー! ベントラー!」
ベントラー…… ベントラー」
「声が小さい!」
「……あんまり大きな声だすと、人に見つかるよ?」


「探検? 探求?」
「そうだよ。だから、今日は新しいテントを買いに行こうって」
 それは、十一月の半ばを過ぎたころだった。
 新しく習得した表情である「ふくれっ面」をしている伊里野に密かに感動しつつも、そんなそぶりは見せないように努力して、夏奈はバン、と机をたたいて立ち上がり、芝居がかった動作で園原中学新聞部の部室の窓を開け放ち、腰に両手を当てて叫んだ。
「おっくれてるぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 隣のハンドボール部で、がたがたがたがたっと積み上がっていた何かが崩れ落ちるような音がしたが、夏奈は気にせず振り向いた。
「これからは、UFOよ!」
 断言する。窓の外では、樹にしがみつくのを諦めた枯れ葉が次々と空を舞っている。部室の方々で、「まただ」「もうそんな季節か」と部員たちの小さな声がする。二学期に転校してきたばかりの伊里野は知らないことだったが、浅羽夏奈の探求心の方向性は季節とともに移りゆく。彼女の中で、探検と冒険の秋が終わりを告げ、UFOの冬がやってきたのだ。
「え、でも…… 探検道具。たくさん買っちゃったよ」
「いつまでも、過去に拘っていてはいけないわ。私たちは、常に未来を向いて生きていくべきなのよ」
 伊里野はぽつり、と言った。
「……先週イワタニのランタン、いいやつ買ったよね?」
「まあ、また、年越しキャンプくらいやってもいいから、さ」


 真夜中に学校に忍び込んで、ミステリーサークルを書くのだ。
 そして、UFOを呼ぼう。
 浅羽夏奈の今回の思いつきの犠牲になったのも、伊里野特派員一人だった。


「つまんない」
 二時間待ってもUFOの影も形もなかった。
 ミステリーサークルが書かれた校庭が見える二階の廊下の窓際に机を並べて即席の観測基地を作るまでは良かったが、元々待つのに向いていない性格の夏奈は椅子に座って不機嫌な表情でつぶやいた。
「なんで、これでUFOが来ないのよ」
「普通、来ないんじゃないかな?」
 伊里野は学校の向かいの自動販売機で買ってきた缶コーヒーを一つ、夏奈に差し出しながら言った。
「もう帰ろうよ。浅羽のお父さんとか、心配するよ」
「でも、お父さんとか、昔よくUFOを見たっていうしさ! 絶対来るよ!」
 なんとなく言った一言に、伊里野は微妙に眉を寄せたが、辺りが暗すぎて夏奈には見えなかった。
「昔は、園原市っていえばUFOってくらいに言われてたのに、第三次核大戦以来は全然目撃例がないんだよ。本当、つまんない時代に生まれちゃったよね」
「つまらない?」
 伊里野は缶コーヒーのプルタブを開けず、ハンカチごしに両掌を暖めてた。
「そーだよ、あたしなんて、ただの床屋の娘でさ。これから先だって、決まり切った高校から、大学か短大に進学して適当に就職するか、バイトしてさ、なんか適当な彼氏とくっついて、結婚して、それで終わりなんだろうな。つまんない人生だよ」
 缶コーヒーをグビグビと一息で飲み干して、夏奈は親父臭い溜息をついてみせた。
「お父さんみたいに、第三次核大戦の頃に生まれてたら、もっと非日常にあふれたドラマティック人生が待ってたかもしれないのに!」
 伊里野が、たん、とハンカチで包んだ缶コーヒーを机に置いた。なんでもないように、浅羽夏奈の肩に手を置く。
「ねえ、あさば」
「うん?」
「は、くいしばって」
 次の瞬間、伊里野のパンチで夏奈は椅子ごとひっくり返っていた。


「大勢の人が頑張って、大勢の人が死んで、それで今があるんだよ」
「い、痛い…… あんた、手加減……」
「だから、浅羽は幸せなんだよ。それは分かるよね?」
 伊里野は全身義体であり、その腕力も瞬発力も人間のものを大きく上回る。骨も筋肉も、本物よりもはるかに硬質で壊れにくいパーツが使われているため、単に殴りつけただけでも、木製バットで殴られたくらいの威力があるのだ。
「ごめんなさい、は?」
「……ごめんなさい。もう、言いません」
「よろしい」


 さらに、二時間が過ぎた。もう、朝日がでてくるまで一時間くらいしかない。
 夏奈は眠たげに目をこすりながら、暇つぶしに「楽しいことリスト」を持ってきていたノートに書き連ねていた。
「あー、つまらない。来年には、修学旅行で沖縄に行くんだけど、それまでは何もイベントはないわね」
「修学旅行?」
「そう、来年。ま、どうせ伊里野とあたしは同じ班だろうから、よろしくね」
 夏奈は目線をあげすらしなかった。伊里野はとまどいつつ、ゆっくりと頷いた。
「修学旅行が終わったら、普通に受験して高校に行くんだろうな」
「あさば、高校に……行くんだ」
「そ、あたしは床屋継ぐ気はないから、勉強して大学に受かって、福岡か新浜にでも出ようと思ってるんだ。できれば、お母さんみたいに世界を股にかけたジャーナリストになってやるの」
 夏奈はそう言って、にへへと力弱く笑った。今度は顔ごと伊里野を見る。
「伊里野は、どうするの?」
 そして、伊里野が絶句する質問をした。


「伊里野は、大きくなったら、何になりたい?」


 園原中学の屋上からは、市街が一望できる。そこに、一人の男が立って、校庭一面に書かれた謎の文様を見下ろしていた。
「全身義体だと、寒さは感じないと思うんだが……」
 彼の体は、任務と不釣り合いに、ほぼ天然のままだ。
「あのお嬢ちゃんは、なんか寒そうだな」

 地球近傍天体「2000 SG344」。それは今から30年前に発見された天体で、2030年9月に、地球に再接近していた。一時は地球に激突するかもしれないと、天文ファンたちを一瞬騒がせたのち、その確立は一千万分の一だということがNASAから報告されると、その騒ぎはあっという間に収まった。表向きのは、それだけだ。
 ただ、その存在のために、こうして新浜市から数百㎞離れた地方都市まで出張させられる方にとっては、笑い事ではなかった。


 夜空を一筋の光が流れていく。
 寝ぼけ眼だった夏奈は喜びいさんで校庭へ突撃していく。一歩遅れて、伊里野が続く。
 二人が校庭の真ん中に出たときには、次々と流れる光の出現位置は空いっぱいに広がっていた。
 夏奈は、たぶん興奮しすぎていたのだろう。伊里野がさっきから、一言もしゃべっていないのに気がつかなかった。振り返らずに「ほらほら、伊里野。UFO、UFO!」と声を弾ませた。


「いやだっっっっっっ!!」
 伊里野が全身をふるわせて、絶望を叫んだ。
 夏奈が振り返った時には、もう遅かった。伊里野はほこりまみれになるのも気にならないように、校庭の真ん中にへたりこむと、子供のように泣き出した。


 校庭の真ん中で伊里野が泣き叫んでいる。異様な文様の中心で。空に線を残して消えていく光の筋が増える度に、伊里野の叫びは大きくなった。夏奈ががくがくと揺すっても、伊里野はまるで無反応に叫び続ける。見開いた瞳には何も映らず、ただその端から涙がぼろぼろとこぼれ続ける。

 ぱん、と意を決して伊里野の頬をはたいた。だが、反応はない。次に、往復びんたをくらわせてみる。まだだめだ、夏奈は全身の力を込めて伊里野の左頬を殴りつけた。
「痛っぁーーーーーっ!」
 叫んだのは夏奈のほうだった。拳の骨が折れたかと思った。伊里野の骨がなにでできているのか知らないが、夏奈にわかったのは、それがむちゃくちゃ堅いことだけだった。大量の冷や汗と、少し涙もでた。
 それでも、伊里野が一瞬、夏奈を見たのを見逃さなかった。


「あれは流星群! UFOじゃないって!」
「りゅうせい?」
「そう、獅子座流星群!」


 伊里野の肩から、力が抜けていく。ぽろぽろと涙を流していた伊里野は、何が起こったのかわからないというように、夏奈にしがみついた。
「おしまいになっちゃったと思った」
 そらを埋めつくすような幾筋もの光。


「でも、こんなの初めてみた」
「獅子座流星群は三十年に一回の周期で来るの。前に来たのは、父さんが小学校の頃だけどね」
 伊里野はようやく落ち着いてきたようだった。

「じゃあ、今日は? UFOが目的じゃないの?」
「できれば、本物のUFOを見たかったけど、さすがにそんなの、実際に見えるわけないじゃない。でも、真夜中に学校に忍び込んでおいて、ほんとに何も起こらなかったら、なんか悔しいじゃない」

 獅子座流星群を見に来たのが、目的の残り半分だった。伊里野に言わないでおいたのは、ちょっと驚かせたかったからだ。この世間知らずの娘に、自分の知っている美しいものや素晴らしいものを、少しでも多く見せつけてやりたかった。
「内緒にしてて、ごめんなさい」


「流れ星には願いをいうの」
 ぼーっと、ただ流れ星を見ている伊里野に、夏奈は先生口調でそう言ってやった。
「浅羽、何をお祈りしたの」
「伊里野は?」
世界人類が平和でありますように
「……ここ、笑うところ?」


「で、浅羽は?」
「まあ、いいじゃない、なんでも」
 夏奈はそういってはぐらかす。伊里野はしばらく視線をさまよわせた後、何かに深く納得したように一言。
「ああ、浅羽。恋をしたんだ」
 この女は、どうしてこんなに嫌な女なんだろう。


 そして、朝日がやってきた。


 男は、朝焼けのなかで、二人の少女が笑って手を振って遠ざかっていくのを園原中学の屋上から目で追いながら、片手に持った通信機を口元に運んだ。そして、そのままボタンを押して一言話せば、それで男の終わりだった。
 だが、果たしてそれが正しいことなのか?
 男は自分の仕事に誇りを持っていた。少なくとも、自分のなかにある基準において、常に自分は正義を貫いてきたつもりだ。
 自衛軍の研究所にあった資料には目を通していた。数十種類の薬物とその副作用、異常な精神状態に置かれた子供たちの成長記録、外科的な手段を含む肉体的な改造とそれがもたらしたもの。あんな小さな子供に、それを強いるのが正義なのか?
 自分の中で、声が囁く。
 何も見つからなかったと、そう言って帰ればいい。懸命に捜索をしたものの、誰もそんな子供のことは知らなかったと言えばいい。そうすれば、すくなくともあと数週間は、あの子供は笑顔で日々を送ることができる。
 ……数週間? そうだ。どうせ、また誰かがやってくるだろう。世界の危機とやらのために、あの子供を生け贄に差し出すために。結局、あの子が平穏に暮らしていける時間は、そんなに長くはない。
 おいおい、何を考えているんだ。お前は結局、自分の命が惜しいだけだろう? 自分や、自分の妻や子供を守るためなら、他人などどうなってもいいと思っているんだろう?
 そうだ。いや違う。断じて違う。あんな風に笑っている子どもを生け贄に差し出すことは、絶対に正義じゃない。俺の仕事じゃない。そうだ、こんな事が俺の仕事のハズがない。
 もう少しで、少女は角を曲がって、自分から見えなくなる。そうしたら、もう帰ってしまおう。そして、課長に頭を下げて言えばいい。「何も見つかりませんでした」と。そうすれば、あの子は笑って……笑ってクリスマスを迎えられるんだ。
「よう、お手柄じゃないか」
 不意に、耳元から声がした。
 目だけ動かす。彼の相棒がニカっと笑って立っていた。
「基地の方は空振りだったし、水前寺も結局見つからなかった。お前があの子供を見つけてなけりゃ、帰って課長に頭を下げるところだった」
 危なかった危なかった。と笑いながらいう相棒に頷きながら、男は躊躇いなく通信機に口を当てて一言話した。
「……娘を見つけました」
 その口元は、確かに相棒に迎えって笑いかけていた。

 駅前では、気の早いクリスマス飾りが始まっていた。
 そこを伊里野が早足で歩き去っていった。


1.2030年の夏祭り
2.線路の上の二人の女
3.November Rain
4.伊里野の冬 <その1>
5.伊里野の冬 <その2>
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