富野作品と両親

ガンダム:主人公と父母との関係は最悪。アムロ、シャア、セイラ、ララァはすべて、作中で両親ともにケンカ別れするか、開始時点で孤児である。ガンダムは「子どもたちの子離れ」の作品であり、人類は地球から離れ、子どもたちは親から離れていく。
Zガンダム:主人公と父母との関係は最悪。作中で死別。母はライバルに殺される。フォウは孤児。Ζガンダムは「男女」のものがりであり、大人になった子どもたちがお互いの距離感に悩む物語である。ここでは、すでに両親の存在は消えかけている。
ガンダムZZ:主人公と父母は開始時点で死別。妹有り。主人公たちは孤児ばかりであり、プルやグレミーは人工受精時である。ここでは「世代交代」であり、ガンダムも戦艦も、作品世界も、兄から子どもへと手渡される。
逆襲のシャアアムロとシャアは、作中で理想の母を求める。ハサウェイは父母を敬愛しているが、クエスと父の関係は悪に近い無関心。父殺し。兄たちはすでに作品の背景でしかなく、主役は子どもたちへとうつっている。

このあたりまで、両親ともに主人公との仲が悪い。
ハサウェイが両親にさほど反抗せず、尊敬しているのが、むしろ特異。


F91:主人公と母の関係は疎遠。作中で和解。ヒロインは作中で父と死別。というか、父殺し。
Vガンダム:主人公は父母を敬愛。だが、主人公と母は作中で死別。シャクティと母も作中で死別。父とはケンカ別れに近い別れ方。だが、マーベットは「母」として書かれており、繰り返し両親と子ども、という関係が書かれる。

F91で、はじめてガンダムの主人公と母親は和解する。この二つの物語は、これまで語られてきたのとは違い「地球」の母性を良きものとして扱っている。Vガンダムは「母親」たちの物語であり、「父親」は滑稽な道化師に過ぎない。まだ、主人公たちは「父親」を赦すことができずにいる。F91シーブックとセシリィはクロスボーンガンダムで夫婦となり、Vガンダムのウッソとシャクティは作中で赤ん坊を媒介とした疑似夫婦となる。


ブレンパワード:主人公(ユウ)と父母の関係は最悪。姉有り。作中で和解。主人公と祖母の関係は良好。ヒメは孤児。
∀ガンダム:主人公は孤児。キエル、ソシエは父と死別、母は狂気へ。キエルとソシエの姉妹。
クロスボーンガンダム:主人公は孤児。ベルナデットは父と作中で死別。

ブレンパワードで、最初に殺そうとしていた両親、姉と主人公が和解したのは大きいと思う。これは、主にヒロインであるヒメの個性と母性によるものである。∀はその明るい見た目と異なり、主要登場人物の家族関係はあまりよくないが、これまで男女の距離感に戸惑ってきたのと比べると、あちらこちらで幸福なカップルが生まれ、夫婦関係を築いていく。


キングゲイナー:主人公と父母は開始時点で死別。サラ、シンシアは孤児。主人公は父母の仇と和解する。
リーンの翼:主人公と父母は開始時点で険悪。作中で和解する。リュクスは父を敬愛しているが、リュクスと母は悪感情。

白い時代。キングゲイナーで、両親の仇を主人公が赦すことと、リーンの翼で主人公が叫ぶ「親殺しはやっちゃいいけないことなんだ!」というのは強烈。過去を振り返るとありえない。というか、孤児多いな。

思いおこすと、リーンの翼というのは、主人公とヒロインの父親が仲良くなった、これまででただ一つの富野作品である気がしなくもない。ずっと「母親」を求めてきた富野由悠季作品が、はじめて「父親、父性」というものに行き着いた作品、それが「リーンの翼」である。