古畑VS右京。と、ヤンクミ

古畑任三郎ファイナル3」と「相棒スペシャル」の一騎打ち。をザッピングしながら「相棒」主体で見て、「古畑」の最後もちょっと見た。「相棒」の最後でわかったが、そうか、フジテレビ系「ザ・マジックアワー」とテレビ朝日系「相棒」のどっちが今年の邦画の観客動員数一位をとるか、という争いなのか。相棒は撮り足し部分を中心に、本編でもなんか安っぽいセットのカットが多いのに対し、完成度は古畑の方が高いんだけど、数多くの登場人物がごちゃごちゃと動き回る分「相棒」の方が見ていて楽しい。

古畑は警察組織から完全に逸脱してしまった架空の刑事だが、杉下右京はかろうじて組織の端っこのほうに存在するかもしれないな、と、まったくリアルじゃないんだけど比較的生々しい現実感がある。たとえば古畑はあくまで「変わり者」扱いをされるだけの殺人担当の刑事であり、現場では好きなように独断専行できる権限を持っているが、杉下は「あの」特命係の、「人材の墓場」の変わり者に過ぎず、常にその行動には制約がつきまとう。完全な架空で机上の名探偵と、現実の組織と社会に縛られた名探偵との対比。だから、「相棒」では亀山と右京が動くと、連鎖式に(ドラマの展開的には必要ないとしても)警察組織の人々が次々と顔を出すのに対し、「古畑任三郎」にはあくまで古畑と犯人、周囲の人間しか登場せず、そこから組織という現実へは繋がっていないのだ。現実との接点が希薄であるために「古畑」は精巧な機械細工のように完成されており、しかし、そのために「相棒」の持つ社会性というものが欠けている。

とはいえ、まあ、どっちも前にやったやつの再放送だからなあ。新作の「ごくせん」を録画しておいたんで、明日見よう。

っていうか、サッカー見るの忘れたー。