ブログの限界効用


ITMedia+Dの西正氏のブログがコメント受付を終了してしまった。
去年の暮れくらいに見つけてから、ブログ内容に関するコメントの盛り上がりとフレーム化、それに対する西氏の率直なレスを見続けていた。
とはいえ、他に同サイト上でコラムの仕事を持つプロの文筆家である以上はコメントにレスしていて仕事にならないのでは仕方がないので、コメント受付終了もしかたない気もする。
ただ、これまでの掲示板ベースのやりとりとちがって、顔の見えている実績のあるヒトと近い部分で交流することができるのがブログの良いところだと思っていただけに、残念なできごとだと思う。


他にもいくつかのブログが年末に終わってしまったせいか、2005年はブログが勃興して、その限界がわかってしまった年だったよーな気がする。
従来型のサイトより、機能としてブログが進んでいる所は、簡単に見栄えの良い対話式のサイトが作れて、コメントとトラックバックっていうやり方で網目を広げていけることなのかな、と思っている。*1
このため、忙しいであろうコラムニストやアイドルや、社長や会社員が手軽にブログを始めたのが、社会的な影響だと思う。


とはいっても、ロバが旅に出たから馬になって戻ってくるわけでもなく。


ブログは単なる道具にすぎないわけで、どんな道具を使ったところで、人間の性(サガ)が大きく変わる訳でない以上、喧嘩で荒れたり、どこからともなく荒らしが発生したりするのは仕方ないことなのかな、と思う。


そして、有名人のところに、大挙して荒らし要因が集まっていってしまうのも仕方のないことなんだけども、もともと時間がなかったからブログを始めた人間に議論に割く時間がとれるわけもなく。


こうして、ひとつ、またひとつと、mixiへ移っていくのかなあ?


以下、荒らしに関する戯言はコメント化。
*2

*1:会社員である自分にとっては、”簡単に見栄え良く”って部分が、CGIからブログへ移行したもっとも大きな理由だったりする。

*2:荒らしが発生したり、場が荒れるのを防ぐ気遣いみたいなものは、掲示板やwikiやブログといった道具とは無関係に、人間やってる経験のなかで育っていくべきものだ、そして、経験値を積んだ人間が未熟な人間に教えるべきだ、とその辺の機微を察する能力については問題児の僕ですら思う。ただ、なんかそういう話はずーっと置き去りになって「誰でも、すぐにでも」って言う面ばかりアピールされている状態が、ずっと続いているような気がする。厨房って言葉は実際に中学生がネットにつないでる事が極めて希少な頃にできた言葉だと思うんだけど、そのころはまだインターネットといいつつクローズな世界で、検索エンジンの性能もあんまり良くなかったこともあって、ネットをするヒトはそれぞれのコミュニティに分科していたような気がする。そして、各コミュニティのなかでそれぞれ厨房を含む新人の世話をしていたから、そこそこネチケット(死語?)に関する教育の効果が上がってた気がする。んだけども、検索エンジンググることが絶大な効果を持ったこと、匿名掲示板ができたおかげでコテハンのコミュニティに属さないでもネット生活を送り続けられるようになったこと、コミュニティ自体が求心力を失ったこともあって、コミュニティに定着しない新顔さんが増え、そういうヒトに対して教育をする場もなくなってしまった気がする。ネットゲームはやんないのでよく知らないけど、ひょっとするとその辺ではまだ新人教育をやってるのかな?。