エターナル・サンシャイン

エターナル・サンシャイン オリジナル・サウンドトラック

エターナル・サンシャイン オリジナル・サウンドトラック

独身のサラリーマン、ジョエルは2004年のバレンタインの日*1、通勤電車に並んでいる最中に衝動的に海岸行きの長距離電車に駆け込む。
同棲していたナオミとは縁が遠くなっていて、新しい出会いなんてなさそうだと思いつつ、海岸を歩くと、そこでオレンジ色のパーカーを着た女性と出会い……


という出だしで始まるのですが、全体の構成が最後まで見終わってもわかんなかったです。
情けないことに、説明されてようやくわかった。


とりあえず、冒頭のシーンの段階で「ジム・キャリー、老けたなあ」と。
ライアーライアーや、トゥルーマン・ショーの時点ですでに子供のいる年齢の役だったわけですが、当時はまだ「兄ちゃん」で通ったものの、もう42歳の立派なおっさん。
頬のしわが深いのに驚きました。
ケイト・ウィンスレットも確かに年食ってきているわけですが、こっちは最近「ネバーランド*2」で見ていたのでそんなにショックじゃなかったです。


だんだんと恋人に関する記憶を失っていく話という触れ込みなので、ちょうど「だんだんと記憶が戻ってくる話」を遊んでいたから期待して見に行ったのですが、若干期待しすぎだったようです。


記憶を失わせるのが私企業であったり、それに使うのが、その辺にありそうなIBMのノートパソコンだったりするのは、一人の超越者が世界を左右する70年代日本SFチックだった腐り姫とは対照的で、非常に90年代SFな感じがするのですが、記憶を失っていく過程がちょっと。いまいち。


個別個別のシーンで、記憶が薄れていくにしたがって、家が廃屋になっていき、本棚が白紙になっていき、雑踏の中で隣にいたはずの恋人を見失い、やがて恋人の記憶を失わないように自分の記憶の中を逃げ回る……といった情景はきれいなんです。
ただ、どうも編集がいまいちなのか、脚本がいまいちなのか。


思い出される記憶に脈絡がないんだよなー。
本来恋人がいるはずのない子供のころからの記憶に逃げ込むという筋はいいのに、中途半端に2、3パターンしかやらないし。それだったら、現在にいたるまでずっと捏造記憶をつなげていけばいいのに。


記憶のなかの恋人と手を取り合って逃げ回るわけですが、それは実体としての恋人ではなくて、自分の脳内にある恋人のイメージであったりするわけで。
この辺も追求すれば面白いと思ったんですが、追っかけないですね。


「せめて、さよならといったことにしない?」
廃屋になっていく家で声しかしない恋人に呼ばれて振り返るシーンは非常にいいです。
がー、なんか、そういった意図が一貫してないのは、やっぱり駄目だよなあ。
思い出は所詮思い出であって、真実とは違う。
ということをやりたいのなら、もうちょっと徹底して……


なんか面白いシーンがあるものの、コロコロと方向性が変わるのでついていくのに精一杯。


受付嬢(キルステン・ダンスト)が初登場のシーンから、端役の割にはやけにエロい雰囲気を放ってると思ったら、実はストーリー上重要なキャラクターなんで驚きました。しかも、ちゃんとエロかったし。

*1:腐り姫は8月14日に終わる四日間の話なんですが、ふと樹里が死んでから半年といってたのを思い出し、樹里と五樹が〜〜したのはバレンタインデイだったんじゃないかと連想しました。エターナル・サンシャインでも氷の張った湖の上を二人手をつないで歩くシーンが出てくるし

*2:よく考えるとジョニー・デップも年食ってるんだよな。