ザ・ヒットパレード

フジテレビの二時間ドラマ。二日とも見てしまった。
映像の世紀」とか好きなんで、映像的には面白かった。
吉田栄作は年を取るにつれて油が抜けて、いい老け方になったきたなあ。
いつまでたっても変わらない織田裕二に見せてやりたい。


実際の映像が途中で挟まると植木等が同一人物に見えないとか、
スタート時点の柳葉敏郎常盤貴子が二十代前半には見えないとか、
映像の持つ弱さを見せつけられたような気はしますが、
60年代、70年代のセットの一部はよくできてるなー、と思いました。


内容は「プロジェクトXプロジェクトXを作った男たち」」みたいな?。
テレビ自身で「テレビは日本人に欠かせないものだ」的な台詞を流したり、
創業者を持ち上げる番組を作るプロダクションの厚顔さに驚いたのですが、
途中で、テレビに対するお別れのメッセージなのかなあ。と受け取りました。
「俺たちは頑張って芸能界を作ってきたけど、もうテレビを中心とした芸能界も、
 終わりになるんだなあ。しみじみ」みたいな。


「俺たちが若い頃、アメリカの流行歌に日本語の歌詞を付けて放送したもんさ。
 あれで俺たちは新しいエンターテイメントに目覚めたんだ。
 いまの連中は平気でWinnyでファイル共有したりして、エンターテイメントを
 汚しているとしか思えんよ。放送のコピーは元来一回までだ。
 アジアで行われている不法な海賊版も完全に撲滅すべきだな、うむ」
正直、そんなような主張を聞かされたような気がするのですが、
被害妄想による幻聴ですか、そうですか。


高齢化社会が進行すると、こうした「昔は良かった」的な番組が、増え続けていくんだろうなあ。
もう「おじいちゃんは巨人戦と水戸黄門」って時代じゃないんで、それはそれで正しいと思うけど。
ちゃんと『オトナ帝国の逆襲』を見てから、過去を懐かしんで欲しい。
おじいちゃんたちの、苦悩や苦労や、失敗や艱難辛苦の上に、現在があるのは分かる。
だが、子供たちとゆーか、若いもんが、何に悩んでおるのか、ということから目を背け、
現実と接点のないファンタジーとしての「昔は良かった」という世界観に浸るだけなら、
引きこもって二次元の世界にしか興味を向けない若者と、どう違うのか。


……ナレーター役のプロダクション社員が、若手社員と一緒に飲みに行く。
「五人でやってた仕事を一人でやれって言われても……」
「でも、失業したら再就職できるかわからないし、ニートになっちまうかも……」
「管理職はどんどん整理されてるし、入社以来昇給がなくて結婚もできない……」
若手たちは過酷な労働環境、失業の恐怖、いっこうにあがらない給料の愚痴を言う。
そうするとナレーター役が「俺も若い頃は悩んだことがあって……」みたいな話を始める。
と、いう展開だったら少しは良かったのか? そうでもないか。