誰か 宮部みゆき

誰か―Somebody (文春文庫)

誰か―Somebody (文春文庫)

ごく平凡なよう見えて、そうでない中年サラリーマンが、二人の娘からの依頼で、その父親の死亡事故を追いかけるうちに、少しずつ事件の側面を解き明かしていくという、小さな事件をあつかったミステリー。主人公が解き明かすのは事件そのものではなく、事件ですらなく、登場するおのおのの家族の素顔のようなもので、これがなかなか面白かった。

宮部みゆきの物語の中心には「家族」がいる。「今夜は眠れない」あたりで読み始めて、高校生のころに「夢にも思わない」→「火車」、大学生で「理由」→「蒲生邸事件」、会社員になって「RPG」→「ブレイブストーリー」と読んできたわけだが、いつもそこには理想的な家族というものがあり、そしてそれは簡単に壊れていくものであり、有り続けることが困難であるがゆえに「善いもの」としてそこにある。

http://www.osawa-office.co.jp/old/weekly/back/237.html

昔、ローグギャラクシーについて、宮部みゆきがひどく憤慨したときにも、その主眼は「作中の家族像」だったように思える。それがあまりに身勝手で「卑しい」光を放っていたがゆえに、宮部みゆきは憤慨しんじゃないか、とこの小説を最後まで読んで思った。この小説は孤独な一人の男が世知辛い事件を解決するのでなく、ただ見守る、というハードボイルドストーリーなのだと解説にはあったけれども、私にはそうではなく、これはそれぞれの家族と家族になろうとしている男女の、妻と夫と子どもの、祖父と婿の、家族関係に関する小説であるように思えた。

同じ女性のミステリ書きでも恩田陸はこうじゃないんだよな。恩田陸の書く家族は、こんなに泥臭くお互いの思惑が入り混じってなくて、お互いが一線を隔てた人間関係なんだよな。その辺がおもしろいな。