溝鼠みたいに、美しくありたい。

中学生じゃしょうがない。

そろそろ心の傷が癒えてきたのか、そこそこ無心に感想が読めた。

イリヤの空、UFOの夏」は「浅羽がイリヤに手をさしのべようとする」物語である。イリヤは最初から人の助けを必要とする少女であり、浅羽の選択肢は最初から一つしかない。ただし、それにも関わらず浅羽は手をさしのべるまでにひたすら躊躇をし続けるのだが。周囲の大人たちが、浅羽に手を伸ばさせることにひたすら後押しをするものの、浅羽が根性を入れるまでに、<その3>までの三冊分の時間を必要とする。

そして、最後の一冊は、もともと覚悟の点で不甲斐なかった浅羽が、ついに「繋いだ手を離してしまう」までの描写に費やされる。この辺は仕方ない。なにせ、浅羽は西森博之や藤田和日朗の漫画に登場するような、覚悟が完了した中学生ではないのだ。その瞬間、おそらく本当に浅羽は「魂ごと」手を離してしまったのじゃないかと思う。「美しい物語」たとえば、icoは「最後まで少年が少女の手を離さない」ことで完結するのだけども、そそういう意味で、「イリヤの空、UFOの夏」は「美しい物語」ではないのだけれども、だからこそ、後を引く美しさがあるのだ。

この辺、『ミナミノミナミノ』で再生産されそうな流れだったのだが、あの話の続きはどこへ行ったんだろう。自分で書いた二次創作を振り返っても、ああ、それが話の骨格になったんだなあ。