太閤立志伝 1598年:加藤清正

秀吉の死後に始まるシナリオ。肥後熊本の大名加藤清正でプレイを開始。
とりあえず、部下が一人しかいないので諸国を漫遊して家臣を捜す。京阪の下間頼廉駿河山田長政などを家臣とするため、京表まで出かけて、茶道を習う。弁舌レベルが低いので勧誘に失敗するのに気がつき、ついでに弁舌のレベルも挙げる。さらに、ついでに嫁も探す。

熊本に戻ると、前田利家病死→石田三成を七将が襲撃。のところが伝聞だったのでまず驚いた。そうか、加藤清正石田三成を襲撃してないのか。反光成代表みたいな感じなのに。その後、上杉家に不穏な動きあり→家康上杉討伐へ出陣→直江状石田三成挙兵→二条城落城とすすみ、関ヶ原に続くわけだが、ここで近所の小西行長との因縁が語られ、小西行長の領土宇土城へ攻撃をかける。小西行長関ヶ原で戦っているので、そこそこ武将が揃っているこっちにとっては楽勝。

関ヶ原の戦後処分で豊臣家の領土は大幅に削減。石田三成小西行長は斬首、大谷吉継は戦死。宇喜多家、長宗我部家は滅亡。上杉家と毛利家は領国を減らし、上杉は米沢へ、毛利は萩へ転封。かわって徳川家と徳川系の大名が領土を広げる。わが加藤家は肥後一国の領土をおさめる大大名になった。

……その後、法広寺事件が起こるのを待ち続けるも、一向に何事も起こらず。しかたないので、国力拡充に努めること十年。最後の方は暇だったので、八代の疋田豊五郎に新陰流を趣味で習って認可を得たり、秀頼を弟子にしてみたり、江戸まで出向いて柳生宗矩と立ち会ってみたり。と時間をつぶしていたら、なにをトチ狂ったのか、島津惟新が攻めてきた。
おいおい、同じ徳川家従属大名じゃないか。そういえば、前からたまに刺客を送ってきたり、変だとは思っていたんだが、まさかそんなことを考えていたとわ。

集めまくった家臣団で反撃すると、実に容易に島津家領土を併合することができた。島津惟新以下、島津家家臣団を配下にすることもできたので、ちょっと九州で暴れてみることにする。……鍋島家、松浦家を滅ぼしたあたりで、まだ法広寺事件が起こらないので、とりあえず放置。