太閤立志伝5 独眼竜政宗 〜上洛への路〜

摺上原の合戦

伊達政宗16歳。1582年、伊達家の家老としてゲームスタート。この時点で伊達家の領土は米沢、白石、仙台。陸前の諸国を属国としている状態。嫁は愛姫。政宗は能力的には統率・戦闘・政務・知謀・魅力の5能力がすべて90を越えており、伊達家家臣団は質はそこそこだが数は揃っている。
だが、政宗は意外と交渉系の技能が低いので、お金をかせいで修行を……と思って若干修行をした時点で父輝宗から唐突に家督を譲られる*1。修行が中途半端な状態で大名になってしまったため、このため後々苦労することになるのだが、それはまた別のお話。

さて、遠方では織田家が領国を拡張しており、信州の武田、中国の毛利が次々と領土を失っている。これと対抗できるだけの勢力を、奥州で拡大するためには、最上、佐竹、南部、安東といった連中を併合しなければならない。
まず、手近で勢力の小さい相馬を相手にすることにする。黒はばき衆に依頼して小高城の防御力を減らし、一気に攻勢……「名目がありませんが、本当に出陣しますか?」……一応、宣戦布告をしておく。で、出陣。あっけなく小高城を攻略する。*2

次いで、佐竹領二本松へ出陣。落城後、唐突に政宗が「そろそろ蘆名家と決着をつけなければ」と言い出す。そのまま、黒川城へ向かって出陣。摺上原の合戦となる。両軍はともに5000づつで、兵力的には同数だったが、訓練度と士気の違いが幸いして蘆名勢は総崩れとなり、伊達家の勝利となった。この戦いで黒川城は落城し、伊達領となった。

奥州統一

次の標的は最上。その前に、南の北条家と交渉。北条は徳川家に玉縄や佐倉を奪われるなど、壮絶な消耗戦を繰り広げていたが、北上されるとやっかいなので、同盟しておく。まだ武田家は頑張っている。

山形城を攻略し、羽前を領国とする。このため、岩代・羽前がすべて領土となったので、城主をおいて荷止めを回避する。小高城を二本松義継、黒川城を父伊達輝宗に与える。

さらに北上して奥州統一をするか、南進するかの選択があったが、この時点でまだ本能寺の変が起こらないため、南進すると織田家と正面衝突することになるので、北上することにする。小野寺家を属国にして、安東家に宣戦布告して、これを攻略。安東家を蝦夷地へ送ってから、属国とする。さらに津軽家が南部家から独立したので、これも属国とする。

南部家に侵攻。津軽家に三戸の攻略を命じ、自分は南方から南部領へ侵攻。奥州北部で優勢だった南部家を併合し、南部信直以下を家臣とする。こうして、属国が数多くある状態ながら、奥州の統一を成し遂げることができた。ときに1985年2月。

この時点で、まだ武田家は上野沼田城にその勢力を残しており、織田家は越後の上杉家、中国の毛利家の領土を侵食しつつあった。家老のうち、留守政景を羽後へ、伊達実元を陸中、鮭延秀綱を陸前の国主とする。

織田家転変

1985年7月。本拠を会津黒川城へ移し、南の那須家を属領とする。黒川城へは多大な投資を行い、奥州1の城としたが、この頃織田家がついに越後上杉家を滅ぼす。このままでは当家も織田家の攻略対象になってしまう。

仕方ないので、武田家の沼田城を攻略に向かう。初回はここで攻略中に肝心の織田信長が病死する、というアクシデントがあって普通に織田信忠が後継してしまったので、戦後セーブから再開。二度目で無事に信長存命のうちに沼田城を攻略することができた。ついでに武田家臣団を丸抱えすることに成功し、武田勝頼真田昌幸、小山田信繁などを家臣とすることができた。

武田が滅亡したあとで、居城に戻ると、本能寺の変が発生。さらに山崎の合戦が起きて、明智光秀も討ち取られたという。織田家の旧領は羽柴秀吉柴田勝家織田信雄織田信孝によって分割される。さらに、織田領の信州・甲斐は徳川家の領土となる。

ここで、伊達家はどさくさに紛れて北陸から畿内を目指す方針とする。柴田領の越後に進軍。柴田勝家佐久間信盛前田利家を率いて二度ほど迎撃にでてきたが、武田家臣団の働きもあり、なんとか戦勝することができた。居城を会津黒川城から越後春日山城へ移す。

越後を制圧、越中に侵攻する過程で清洲会議。次いで、信長葬儀。賤ヶ岳の戦いが起こり、越中富山城を攻略したところで、北の荘城落城。柴田家が滅亡し、領国はすべて羽柴家の領土となった。

独眼竜上洛

羽柴家とはまだ戦闘状態にはなかったが、ここで食い下がっては領土拡張する相手を失う。徳川家と同盟し、羽柴領となった能登・加賀に出陣。まだ秀吉はイベントで縛られているのか、反応が遅い。

越前北の荘を攻略したころ、織田信孝家が滅亡して、信忠謹慎イベント発生。当家は居城を春日山から北の荘へ移す。次いで、越前金ヶ崎にて、ついに羽柴秀吉(黒田官兵衛蜂須賀正勝付き)軍1万7000と遭遇。伊達軍は攻城戦の途中だったこともあり、1万4000ほど(最上義光武田勝頼真田信繁鬼庭左月)だったが、真田信繁に習った「風林火山」の軍略の力か、乱戦の末、これを撃破することに成功。

その後、羽柴家は織田信雄と戦端を開き、織田信雄の居城安土城へ攻勢。その間に伊達家は近江へ進出、丹羽長秀が籠もる佐和山城長浜城坂本城を攻略。丹羽長秀を伊達家臣とする。安土城を攻略したことにより? 小牧長久手の合戦が発生。美濃尾張を失ったものの、伊勢に領土を保った織田信雄家は羽柴家に臣従し、徳川家は羽柴家との合戦名目を失う。徳川家と羽柴家は和睦へ向かうのだった。

しかし、その間に伊達家の最上義光軍が二条城の攻略に成功。伊達家は上洛を果たすのであった。この上洛イベントの効果か、ついに伊達家(14000)と羽柴家(13900)の支配力は逆転。伊達家は天下一の大名家となったのであった。

イベントまとめ

  • 政宗家督相続:時間経過による? 相続する、しないの選択肢あり。
  • 摺上原の合戦:伊達家の二本松城攻略。蘆名家が存続。戦勝により、蘆名家滅亡。
  • 本能寺の変織田信長明智光秀羽柴秀吉柴田勝家がいる状態で、武田家の滅亡。織田家の領土は近畿から西日本(毛利家から奪った分を含み)は羽柴家、安土城尾張・伊勢は信雄、美濃と飛騨は信孝家、北陸から北は(上杉家から奪った分を含み)柴田家となる。また、佐々成正の領土は(飛び地だったが)柴田家領となるようだった。
  • 清洲会議本能寺の変から時間が経つ。(翌月?) とくに影響はなし。
  • 信長葬儀:本能寺の変から時間が経つ。(二ヶ月後?) とくに影響はなし。
  • 賤ヶ岳の戦い:信長葬儀後。近江にもあった柴田領は越前以東のみになる。
  • 北の荘落城:賤ヶ岳の戦い後。柴田家は滅亡し、柴田領は(飛び地も)羽柴領となる。
  • 織田信孝謹慎:織田信孝の居城が羽柴家によって陥落した時。織田信孝領は羽柴領となる。
  • 織田信孝自刃:織田信孝が自刃する。とくに他国には影響なし。
  • 小牧長久手織田信孝自刃イベントと関連あり? イベント後、織田信雄羽柴秀吉に従属し、徳川家は羽柴家との開戦名目を失う。また結城秀康が秀吉の養子となる。
  • 上洛:二条城を攻略後、居城に戻ると発生?。

*1:PS2版だとこのイベントが滅多に起こらないらしい。

*2:もう少し待つと、二本松義継がやってきて、輝宗を拉致するイベントが起こるらしい