太閤立志伝 1598年:豊臣秀頼

秀頼プレイ。とにかくやってみると、ひたすら秀頼の自主性のなさが表現されてしまうシナリオだった。前田利家病死→石田三成襲撃(秀頼のコメント有り)→上杉家に不穏な動き→家康上杉討伐(ここで淀君イベントあり)→石田三成挙兵(またイベントあり。傍観)→関ヶ原(傍観)。ここまで、ずっと家臣に「傍観しよう」と言われて傍観し続ける。

豊臣家領国は一気に縮小。家臣団も減る。あとは評定にでるたびにイベントが進んでいく。方広寺事件→片桐且元江戸へ→大野治長江戸へ→片桐且元出奔→浪人を大阪城へ→真田丸提案→大阪冬の陣(籠城)→大砲で小姓が死ぬイベントあり→和睦→大阪城掘り埋め→家康からの書状(大阪を放棄するか、浪人を解き放つか)→家康からの書状を無視→大阪夏の陣(秀頼出陣)。

大阪夏の陣では伊達勢を突破し、家康本陣に迫ったものの、ここで思わず秀頼本陣を突出させすぎて瞬殺され、敗北。秀頼斬首でゲームオーバー。千姫と結婚できるのか、と思って嫁を探さずにいたらそのイベントはなかった。本当にそのイベントはないのか、それとも秀頼が死亡時で7歳だったからか。